神様と仏様を同時にまつる珍しい寺が、福井・越前市にある。平安前期に神社として誕生し、明治維新を経て神社と寺が一体となった。370年以上前から立ち続ける大杉が出迎え、県内最古とされる松尾芭蕉の色紙塚も残る。地元に深く根ざした古刹の歴史をたどる。
平安前期に神社として誕生、戦火で移転
越前市高瀬にある河濯山・芳春寺。この寺の歴史を案内してくれたのは、17代目の住職・濱﨑紹洋さん。「元々、平安前期に神社がこの地にできたのですが、その神社をお守りするということで、別棟でこの地にお寺ができました」
つまり、寺はもともと神社を守護するための存在だったのだ。
その後、戦火により焼失し、1650年に現在地へと移った。以来、この場所で歴史を重ねてきた。境内にそびえ立つ大杉は、370年以上前から変わらず寺を見守り続けている。
明治維新の際には、寺が神社を統合するという大きな転換があった。その後、老朽化による建て替えを経て、約100年前に現在の姿となった。
入母屋造りの本殿は、長野県の善光寺も手がけた名工・師田庄左衛門の作品である。本殿の裏側には200年以上前に奉納されたという数多くの絵馬が飾られており、この場所が長きにわたって神仏習合の地であったことを伝えている。
「川の穢れを流す女神」瀬織津姫をまつる
かつて参拝者たちは、寺の近くを流れる川で身を清めてからお参りをする習慣があったことから「かわっさん」の愛称でも親しまれてきた。
まつっているのも水とゆかりがある瀬織津姫だ。
「瀬織津姫は川の高い瀬に座していて、不浄や穢れ、病気を下流に流す女性の神様です」(濱﨑住職)
川で身を清めてから参拝するという古来の習わしと、穢れを流し去る川の女神信仰とが、この場所では見事に重なり合っている。

神社として生まれ、それを支える寺が統合される流れの中で、神と仏が一体となった古刹の来歴は、日本古来の神仏習合という文化を体現している。
松尾芭蕉の色紙塚が境内に
芳春寺の見どころは、その歴史的な成り立ちだけにとどまらない。境内の端には、県内最古とされる松尾芭蕉の色紙塚が残されている。
1700年頃、芭蕉がこの寺の近くに立ち寄った際、地元の俳人・露朝が芭蕉から色紙を受け取った。
芭蕉の死後、露朝の弟子たちはその色紙を土に埋めて芭蕉を弔い、その地に石碑を建てた。

風化が進んでいるとはいえ、石碑はたしかにここに立ち続け、俳聖がこの地を訪れた事実を今に伝えている。
平安前期から現代まで、地域の人々とともに歩んできた芳春寺。濱﨑住職は地域との関わりについて「地域の方の思いを大切に残し、伝えていきたい」と語る。

