能登半島地震の発生から2年半が経過した。奥能登の各地を記者が訪ね、今どんなことを感じているのか聞いた。
仮設住宅の夫婦が送る日々
穴水町川島の仮設住宅に暮らす関寺忠男さんと二三子さん夫婦。2024年3月23日からここで生活を続けている。「遅くても午前5時には起きる。運動は1時間半くらいする」と二三子さんは話す。記者が「それは何の運動?」と問うと「肩甲骨の運動になるんだって」と答えた。

保健師が健康のためのアドバイスに来ることもあり、夫婦はその言葉を素直に受け止めながら毎日を過ごしている。忠男さんは「我々は医療費もかからないくらい元気になるのが一番じゃないかと思って。何にもすることがないから」と話す。

仮設住宅を出た後は災害公営住宅へ移ることを決めたが、希望の場所に入れるかどうかはまだ分からない。「やっぱり抽選。全員は入れることになっているけど、希望の所に入れるかは分からない」と忠男さんは言う。二三子さんも「次の家が決まってくれれば別かもしれないけど、まだ決まっていないから」と先行きへの不安をにじませた。

それでも忠男さんは「やりたいことはなんでも、これから思い付きであってもしていこうって。そういう構えではいる。ちんとしているのは嫌だから」と話した。
岡山から派遣された電気工事士
2024年3月から被災地に入り、電気工事や設備工事を請け負ってきた岡山県の廣本浩之さん。この日は仮設住宅団地の受水槽の不具合を確認していた。能登各地の仮設住宅や学校の校舎を今も駆け回っている。「最初の頃は皆さん体育館とかいろんな所で生活していて不便でしょうから、1日でも早く仮設住宅に入れるようにと、休みなしぐらいでずっと頑張っていた。ご飯食べてシャワー浴びて早く寝るみたいな生活が多いかもしれない」
「楽しみはなんだったんですか?」と尋ねると、廣本さんは「何が楽しみだったんですかね。いつ岡山に帰れるかなというぐらいなもんですかね」と話し、スマホの待ち受け画面に映る娘と息子を見せた。

そんな中でも廣本さんが心に残っているのが能登町の夏祭り「あばれ祭」だ。「2年前の。やるっていうので見に行って、火の粉で服にいっぱい穴空きましたけど。祭りはよかった。復興に向けてのみんなの動きというか、気持ちは分かる」
国道の復旧を待つ飲食店主
国道249号沿いにある飲食店「今新」の店主、奥野優さん。漁師も兼業し、目の前の海で取れた新鮮な魚介を使った海鮮丼などを安く提供してきた。「これがアズキガイ。甘辛く炊いて食べるとおいしい」
しかし地震後は店の前を走る国道の工事が続き、来客が期待できないとして店は開いていない。「とりあえず道路。道路が命だから早く復旧してもらいたい。もう一度店を開いて感謝の気持ちでやりたい」
輪島と珠洲をつなぐ国道249号は大規模な工事が続き、ところどころで交互通行となっている。珠洲市仁江町の工事現場では、土砂崩れが起きた斜面の整備や落石防止フェンスの設置が進んでいた。

岐阜県の土木会社に勤める籾山愛大さん(25)は、約1年前から現場監督を任されている。「今切土している土も元々崩落していた土砂なので、軟弱な土もあったりする。雨が降ってしまうと土がドロドロになってしまってのり面が崩壊することもある。その辺を考えながら進めていくところが大変」

年上の作業員たちと仕事を進める難しさについて聞くと、籾山さんは「年齢の離れた作業員とうまく仕事していくために、日々のコミュニケーションだったりとか。私自身も分からないことがたくさんあるので、指示を出す立場でありながらも教えてもらうこと。素直に受け止めるというところを大事にして作業員と仕事をしている」と話した。

工事の進捗については「工期は厳しいところもあるが、安全に作業ができているのでその面では順調」と話す。
傾いた田んぼでコメ作りを続ける農家
輪島市惣領町にある谷兵五郎さんの田んぼ。はた目には美しい田んぼだが、地震で地面が傾き、思うように水を管理できなくなっていた。「用水が漏れているのか水が入ってきて、稲を刈るときになると水が引かない。稲穂ができていても刈れなくて、そのままにしたところもある」
記者が「直すとしたらどこを?」と聞くと、「田んぼを一回平地にしてしまわないと。傾いていたら水届くところと届かないところが出てしまう」と谷さんは答えた。ほとんど農薬を使わず、刈った稲穂ははざで干すという昔ながらの方法。いつまで続けられるかは分からない。「自分は体が弱いからそんな計画的に思うようにいかない。傾いたところは荒れたまんま置かないとどうもならないし」

「なるようになるということですか?」と聞くと、谷さんは「そうそう、なるようにしかできない」と話した。能登半島地震から2年半、奥能登の人たちはそれぞれの今を、それぞれのペースで生きている。
(石川テレビ)

