長野県の南部・南信州では、和菓子を起源とした「半生菓子」産業が盛んで、生産量は全国トップ。お茶うけとしても親しまれている「半生菓子」。そのルーツを取材しました。

■生産量トップ!南信州の”半生菓子”

スーパーなどでよく見かけるもなかや餅、マシュマロや、寒天ゼリーなどの袋詰めのお菓子。これらは「半生菓子」と呼びます。

お茶うけなどとして、食べたことがある人も多いかもしれません。

菓子は、和菓子と洋菓子のほか、含まれる水分量によって3つにわかれ、31%以上が生菓子、10から30%が半生菓子、10%未満は干菓子と呼びます。半生菓子はみずみずしさがありながら、日持ちするのが特徴です。

街の人:
「お母さんがよく茶菓子というか、お茶の時に出してくれた。(好きなのは)バウムクーヘンともなかかな」
「みんなおいしいですよ。味が、お茶うけにぴったり。飯田で作ってるって本当に驚きました。どんどん広がってくれればいい」

この半生菓子、実はその多くが南信州地域で作られているのです。

南信州の年間生産量は約2万2000トン、生産額は約160億円で全国トップのシェア40%を占めています。

■「日持ちのため」半生菓子一筋60年

製造企業のうちの一つが、喬木村の伊藤製菓。

1964年創業で半生菓子一筋。

現在は白あんの焼き菓子「桃山」や、もなか、餅など100種類を超える半生菓子を作っています。

伊藤製菓・手塚宏行代表:
「日持ちをさせるために半生菓子というものを作り始めたと思う。みずみずしさが欲しいんですよね。流通のスーパーやお店で売っているものは、飯田市がほとんどだと思っています」

■飯田城の藩主が「和菓子好き」

なぜ半生菓子の製造が南信州で盛んなのか?

理由の一つが南信州に根付く菓子文化の歴史です。

飯田市街地は、江戸時代に飯田城の城下町として栄えました。

当時の飯田藩の藩主が茶の湯と、それに欠かせない和菓子に熱心であったことから、和菓子屋が増え、「和菓子のまち」として発展してきたといいます。

伊藤製菓・手塚宏行代表:
「飯田藩主がお菓子が好きだということで、京都から菓子職人を呼んで作り始めたと聞いています。その中で弟子たちが生まれて飯田地区に200軒の菓子屋があったと聞いています」

和菓子が親しまれる中、農業も盛んであったことから、日持ちのする半生菓子が求められ、作られるようになったのではといわれています。

伊藤製菓・手塚宏行代表:
「田んぼの土手とかそういうところで、お茶菓子をみんなで寄って食べたところから(半生菓子が)始まっていくと、日持ちするお菓子が欲しかったんじゃないか」

■日持ちし低価格「栗しぐれ」ヒット

半生菓子が南信州に、そして全国に広がった理由はヒット商品の誕生です。

飯田市の洋菓子店「パティスリーポルカ」。

このポルカの前身・福澤製菓の初代・福澤房男さんが1957年に開発した「栗しぐれ」が大ヒット。

当時人気だった和菓子の「栗まん十」を参考に、日持ちがして低価格な商品として、白あんに栗を練りこんだ「栗しぐれ」を生み出しました。

ポルカ 2代目・福澤芳一さん:
「半生菓子というのは値段的にかなりおさえて、一般大衆の誰でもが気楽に買って食べられる。(房男さんは)『栗まん十』と同じような味のもので、もっと安く皆さんに提供できるようなお菓子はできないかと考えたのではないか」

■「製造方法の公開」が発展の礎

「栗しぐれ」の人気により製造が追いつかなくなり、福澤さんは地域の同業者に製造方法を公開。

地域をあげて「栗しぐれ」を作ったことが、南信州の半生菓子産業発展の礎になったと伝えられています。

ポルカ 2代目・福澤芳一さん:
「しょっちゅう、うちへ同業者の社長が集まっていろいろ話をしている。どうもそれは『栗しぐれ』のことをやっていた。(南信州の半生菓子が)これだけ有名になっているというのは自慢にもできるし、うれしい」

■祖父の味を洋菓子に受け継ぐ3代目

店は2代目の芳一さんの代から、洋菓子店に。

現在は3代目の裕介さんが店を継ぎ、「栗しぐれ」の原料の白あんを使った「結びサンド」を開発。

白あん入りのバタークリームには、地元の日本酒に漬けたレーズンを混ぜ込んでいます。

祖父が考案した半生菓子の味を、今の洋菓子作りにも生かしています。

ポルカ 3代目・福澤裕介さん:
「何か祖父が考案したものを別の形で残せないかなという思いから、『結びサンド』を考案した。半生菓子を生かした商品作りというのは、これからもしていかないといけないなと思っているし、そうする責任というかは感じています」

(記者リポート)
「クッキーがサクサクしていて、とても香ばしいです。やさしい甘さのクリームにレーズンの風味が良いアクセントになっています」

■人気が続く「ミックス」の誕生

半生菓子産業が発展した理由はもう一つ。

さまざまな商品を一袋に詰めたミックス商品の登場です。

一袋で多くの種類の菓子が楽しめることから、1970年ごろの販売開始以降、現在も人気が続いています。

伊藤製菓・手塚宏行代表
「お菓子を作る中で残っていたお菓子を、アソート(詰め合わせ)にして売ったら、それがまたヒットしたということで、半生菓子がもう一回持ち直してきた理由だと思う」

■生産量増 7割はOEM生産

南信州で発展してきた半生菓子。

大型スーパーや海外からの需要もあり、生産量は年々増えていて、各企業の生産の仕方も変わってきています。

伊藤製菓では現在、他社からの委託を受けて生産する「OEM生産」が盛んで、生産量の7割を占めています。

伊藤製菓・手塚祐介専務:
「自社の力だけで時代の流れを読み解くのはなかなか難しいので、お客と相談しながら、今世の中から求められている商品はどんなものかというのをつかんでいきたい」

■後継者不足に廃業「新しい商品を」

生産量が増える一方で、後継者不足や小規模業者の廃業などで企業数は減少。

ピーク時に70社ほどあった半生菓子製造業者も、今では15社となっています。

伊藤製菓・手塚宏行代表
「(課題は)軒数が減ってしまうというのと、やめていくところが特殊なお菓子を作っていて、その商品を残していかなければならない。後継者をつくって絶やさないことが一番」

伊藤製菓・手塚祐介専務:
「ライバルの企業さんとどうすみ分けをするのかが大事なところ。半生菓子というカテゴリーに縛られず、半生の技術を生かした新しい商品づくりは続けていきたい」

半生菓子、全国一の南信州。さらなる発展を目指して業界の挑戦が続きます。

長野放送
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