岡山市の里山にある古墳が、「空白の4世紀」の謎に迫る貴重なものだとして新たに国の史跡に指定されることになりました。どんな古墳なのか、専門家と巡りました。
岡山市中心部の東側に広がる操山。標高が200メートルに満たない丘陵地です。古墳はこの操山の中にあります。中区沢田の登山道の入り口から30分ほど歩くと…。
(前川裕喜記者)
「山の上に来た。ただの山の起伏に見えるので復元図を持ってきた。古墳の丸いところがこちらのライン。画面の左が前方部だと何となく分かる。巨大で山の上にあるため全体は把握しにくい。観察する楽しさがある」
金蔵山古墳と呼ばれるこの古墳。古代の岡山の権力者の墓だと考えられていて、露出しているのは、遺体を安置する石で造られた空間です。古墳時代、権力を示すために日本各地で造られた鍵穴のような形をした前方後円墳で、岡山市教育委員会の発掘調査により、全長は158メートルと分かりました。
さらに前方部と後円部のくびれの辺りからは宗教的な儀式の跡も確認されています。ここから出土した埴輪や土器、副葬品などを他の地域の出土品と比較すると、造られたのは4世紀後半で、ヤマト王権があった近畿や朝鮮半島と関係を持っていたことが分かりました。
文献がなく、謎が多い日本の4世紀に、岡山の勢力が遠方の巨大な勢力と交流できるほどの力を持っていたことを示しています。
(岡山市教委文化財課 寒川史也さん)
「古墳時代の吉備、岡山とヤマト王権の強いつながりを示す資料が出てきたので歴史的な価値付けができた」
古代の岡山の権力者の墓と言えば、金蔵山古墳より後の5世紀初頭に、操山から約15キロ西の地域に造られた前方後円墳、造山古墳が有名です。全長は350メートルと全国4番目の規模。5世紀に岡山の勢力が有数の力を持っていたことを示すものとして、国の史跡に指定されています。
実は、全長158メートルの金蔵山古墳も造られた4世紀においては、中四国、九州では最大規模。つまり岡山の勢力が5世紀に大きく繁栄する前の段階の状況を示しています。国の文化審議会は6月19日、金蔵山古墳を国の史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました。
(岡山市教委文化財課 寒川史也さん)
「地域の歴史に光を当てる誇るべき宝として評価されたと考えている。現状でも立ち入って見られるので触れてもらい文化財の在り方に思いをはせてほしい」
身近な里山にある古代の岡山の姿に迫る手がかり。岡山県で新たな国の史跡指定は、2008年の彦崎貝塚以来18年ぶりで、49件目となります。
