43人が犠牲となった雲仙・普賢岳の大火砕流から35年、島原市では犠牲者に手を合わせる姿が見られました。

消防団員の詰め所があった島原市北上木場の農業研修所跡です。

大火砕流が発生した午後4時8分、消防団の遺族などが黙とうしました。

35年前の大火砕流は、地元の消防団員や報道関係者など43人の命を奪いました。

分団長だった山下日出雄さんの長男・山下譲治さん
「私たち家族にとっては、この日はずっと変わらない。自分の家族が、自分の縁のある人が、災害の中で命を落としたり災害と一緒に闘ってきたというか災害とともに過ごしてきたことを知ってくれたら」

山下日出雄さんの妻・睦江さん
「息子たち、孫たちがじいじの思いを伝えていってくれたらうれしい」

当時、報道陣がカメラを構えていた「定点」一帯は、災害遺構として整備されています。

報道関係者も手を合わせ犠牲者を悼みました。

雲仙・普賢岳はあの日と同じように雲に覆われました。

仁田団地には追悼の碑の前に献花台が設けられ、古川隆三郎市長や警察官などが花を手向けました。

島原市 古川隆三郎 市長
「35年前、あの自然の脅威と町中の混乱を消防団員であった僕はよく覚えています」
「この自然災害の恐ろしさをこれからの子供たちを含む伝承をきちんとしていくことが肝要」

当時、島原市長として災害対応や復興に向け陣頭指揮を執り2025年に亡くなった鐘ヶ江管一さんの妻・保子さんも姿を見せました。

鐘ヶ江保子さん
「主人がいないので代わりにお参りに来ました。支えていただいたのでお礼と思って花を提供させていただきたい」

島原中央高校の生徒は追悼の思いを込めた千羽鶴を捧げました。

島原中央高校2年 酒井悠晴さん(16)
「自分たちが生まれていないときの災害だが、いつ起きてもしっかり対策できるように普段から対策しておきたい」

消防殉職者慰霊碑前には、島原市消防団の団員が献花所を設けました。

団長の金子宗弘さんは大火砕流が発生したとき30歳で、当時を知る唯一の現役消防団員です。

島原市消防団 金子宗弘 団長(65)
「忘れようにも忘れられない。自分が得た知識、色んな経験してきたことを退団するまでには後進にちゃんと伝えて今後も災害に強いすばらしい島原消防団を作っていってもらいたい、受け継いでいただきたい」

テレビ長崎
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