つくね、せせり、ぼんじりに、大好きな皮は塩とタレで。皮を食べた山本さんは「嚙んだ瞬間に肉汁がぶわ~っと。もう最高、味が上品」と大興奮。

ここで、中日ドラゴンズに入団後、星野さんからアメリカ留学を通達されたときのエピソードに。

「なんで、俺?と思いました。あの時ルーキーで入ってきたのが立浪和義さん。4歳下の高卒ルーキーより僕、給料低くて、クビ寸前。オープン戦の開幕投手に指名されたのに、初回に7失点KOで、試合後に監督室へ呼ばれて、監督から『今年もういいからアメリカに留学に行け』と言われて」

いきなり9カ月の留学を命令され、星野さんから特に具体的な指示もなかったと言い、「1試合でシーズン終わっちゃった」と山本さん。

アメリカで本場のスクリューボールを習得

突然言い渡されたドジャース傘下のマイナーリーグへ留学することになり、山本さんからすると「島流し」とも思えたが、この留学が運命を変えることに。

大きかったのは当時ドジャースで会長補佐を務め、国際担当として日米の野球交流に尽力していた生原昭宏(アイク生原)さんとの出会いだった。

アイクさんが、当時スクリューボールを武器にしていたフェルナンド・バレンズエラさんと引き合わせ、「教えてやってくれ」と言ってくれたことからはじまる。

「バレンズエラのスクリューボールは、ブルペンで見てたら右ピッチャーのカーブみたい、“これ無理だ”と思った」そうだが、山本さんはそれからお風呂以外はボール握り、徐々に習得したスクリューボールを武器にマイナーリーグで最多勝争いするまでに。

そして、夏にアイクから「日本に帰るぞ!」と急に言い渡されて戸惑ったそうだが、翌日、星野監督から「帰ってこい」という電話があり、「いますぐ帰ります」と従ったと話す。

「あの留学がなかったら今頃、山本昌って人もいない。星野さん、アイクさんは大恩人」

帰国した山本さんはスクリューボールとコントロールの良さを武器に大活躍し、32年に渡って現役を続けた。

いつかまたドラゴンズのユニフォームを

「鳥もつ煮」をつまみに、芋焼酎の「黒ぢょか」を。

酔いが回ってきた中で、最後に聞いたのは、プロ野球界復帰の可能性について。

「ドラゴンズ以外にも話はありましたが、やっぱりドラゴンズでないとダメだという思いがあります」と“ドラゴンズ愛”を語る。しかし、「誘いがない、ドラゴンズからは…」とこぼす山本さん。

さらに、引退後に星野さんと電話した際「これからは野球に恩返ししなさい」という言葉ももらったと明かした。いつかまた、ドラゴンズのユニフォームを着る昌さんが見られることを期待したい。

日本一ふつうで美味しい植野食堂
毎週金曜、22時〜22時55分
BSフジで放送中
Tverで見逃し配信中
https://tver.jp/series/srv0f3st58

日本一ふつうで美味しい植野食堂
日本一ふつうで美味しい植野食堂

元dancyu編集長・植野広生がずっと食べ続けたい、 “日本一ふつうで美味しい”レシピを学ぶ料理番組。名店の味が家庭でも味わえるレシピやゲストの「食」にまつわるエピソードなどを聞き出していく。毎週金曜日の22時からBSフジにて放送中。