それからは飲食店で「鶏皮」の文字があれば、必ず食べるようになったそうで、「中華料理に行ったら必ず北京ダック」と断言。

鶏皮好きの山本さんに、店主が最初に出してくれたのが皮ポン酢。さまざまな部位の鶏皮をゆずポン酢で味付けした皮ポン酢を、一口食べた山本さんは「皮が脂身少な目でめちゃくちゃいい感じ。歯ごたえもいい。すごく上品です」と絶賛した。
野球人生を変えた星野仙一との出会い
そして、以前番組で教わった人気メニューの「鳥せんべい」「白レバ刺し風」も登場。
植野さんは「ビールのために生まれてきたような」とオススメし、山本さんも「これ球場で売ったら売れるよ」と提案。

球速こそ140キロ前後だった山本さんだが、驚異的なボールの回転数から生み出されるストレートや変化球、中でも内角に沈み込むスクリューボールが一級品で三振を量産。2年連続最多勝利、沢村賞受賞など輝かしい成績を収めた。
入団当時の監督は山内一弘さん。その後、星野仙一監督に代わり、山本さんは「『珍プレー好プレー』で見る星野さんの姿は、まだまだ氷山の一角。もっともっとすごい」と振り返る。
名投手・名監督として中日ドラゴンズを支えた、“燃える男”星野仙一さん。山本さんの入団当時、解説者だった星野さんは、ブルペンで投げる山本さんを見て「不恰好なモーションでコントロールもない」と一言。

監督就任が翌年に決まった86年秋季キャンプでは「いつになったら本気で投げるんだ」と厳しい言葉を投げつけるほどだった。
それでも山本さんは「星野さんと出会わなければ、こうやってご飯食べさせてもらえるようになることもなかった。ただ、今23歳に戻って『星野さんのもとでやれ!』って言われたら…やらないですね」と渋い顔でつぶやいた。
監督から通達された突然のアメリカ留学
待望の焼き鳥が到着すると、山本さんは「皮は見ただけでうまいかどうか、串の刺し方でも分かる」と語る。
