81年前の5月11日、宮崎市西池町付近でアメリカ軍による空襲があり、小学生12人が犠牲になりました。平和の大切さを次の世代につないでいこうと、宮崎大学教育学部附属小学校で「いとし子命の集い」が行われました。
この小学校では空襲のあった5月11日に毎年、亡くなった児童をしのび、平和や命の尊さを学習しています。
(橋口さき子さん)
「81年前のきょう、誰かの大切な友達や家族だった人たちが、一瞬にして命を失いました」
11日は、遺族が当時の様子を話しました。
(遺族代表 山下均さん)
「私の叔父は爆弾が直撃したものと思われ、遺体が何も残っていませんでした。教科書に『山下あきら』と書いているものだけあり、ここで亡くなったのではと推測したわけです」
この学校にある「いとし子の供養碑」。今は学校に移されていますが、以前は空襲を受けた住宅地にありました。子どもの最期の姿にすら会えなかった、と、亡くなった山下陽さんの母親が供養のために作りました。
遺族や児童は供養碑に花を手向け平和への思いを新たにしました。
(北園莉子さん)
「やっぱり遺骨が残っていなかったり、教科書が残っていたり、そういう大きな被害が起こっているのは、悲しいことだったりするから、戦争は二度と絶対にしてはいけないということを感じました」
(江口夏子さん)
「今日本は平和だけど、戦争が起きるかもしれないので、小さい子たちにも伝えてあげたいと思いました」
この小学校では遺族や関係者の話を教材にして、平和学習を続けています。
「いとし子の供養碑」にあわせつくられた歌「黄色い花が咲くころは」
黄色い花が咲くころは
いつもあの人を思い出す
たくさんの夢や大きな希望も
かなわなかった人がいる
みんなの笑顔あふれる庭を
いついつまでも守っていこう
平和への道しるべ
いとし子の道
この空襲で2人の姉を亡くした山本行一さん。21年前の慰霊祭に山本さんの母親の恵美さんが参加しました。その時の映像です。
(当時のインタビュー)
「幸せな子でした。ずっと話せなくて、ようやく公で話せるようになりました」
恵美さんはこの取材の9年後に亡くなり、今は、81歳の山本さんが供養を続けています。
(2人の姉を亡くした山本行一さん)
「99で亡くなりました。延岡にひきあげて、50年ぐらいしてくらいかな。ぽつりぽつりと話す状況で。上二人がいっぺんに亡くなって、どんな気持ちだったかな。子どもたちが常日頃からやっている活動に感激しますし、少しでも協力したいという気持ち。言い伝えていきたいという気持ち」
また11日は7歳のときにこの空襲に遭った女性が初めて参加しました。
(金子れい子さん)
「私たちは上野町に向かっていく人たちが10人ぐらい、その中に亡くなった山本さんもいらっしゃった。爆弾が落ちて、「ふせろ」と言われても「ふせ」の意味がわからないから、姉が後ろからおして、この辺は全部やけど。今もそのあとが残っていますけど」
つらい記憶を思い出すことへの恐怖もあり、これまで多くを語ってこなかったそうです。
「終戦直後なんかやっと平和な時代がきたと「ほっ」としたという気持ちがあって、今の情勢をみていて、ああいうことが日本で起きたらとおきかえて考えてほしい。どんなに大変なことかと想像してほしい」
当時の凄惨な出来事を、目に耳にしてきた当事者が参加した今年の集い。平和の大切さや命の尊さを次の世代に伝える場となっていました。