「野生の麹菌」で作る前代未聞のチーズ 職人が情熱を注いだ5年の挑戦
島根・松江市の小さな工房で、これまでにないチーズが生まれている。
使うのは、日本古来の発酵食品に欠かせない「野生の麹菌」。
酒でも味噌でもなく、チーズに麹を応用するという前代未聞の試みに、ひとりの男性職人が情熱を注いできた。
失敗の連続で気が付けば5年。
その歩みの先に、ようやく完成した一品がある。
野生の麹菌を生かした熟成モッツァレラ 松江の職人が切り開く新たな味わい
松江市郊外の西忌部町。
山の上に建つ「空山チーズ工房」を営むのは、野津裕司さんだ。
工房では、野津さんが1人でチーズを作り続けている。
この日手がけていたのはモッツァレラチーズ。
適切な温度管理が求められ、固形分と水分をうまく分離させる必要がある、作るのが難しいチーズだ。
取材に訪れたJALふるさと応援隊の松崎愛己さんが口にすると、「すごくもっちりとした食感です。今までに食べたことのないモッツァレラチーズの食感で、味わいもすごく濃厚です」と顔をほころばせた。
通常、モッツァレラは熟成させないフレッシュタイプのチーズだ。
だが、野津さんはあえて熟成させることで、これまでにない味わいに仕上げた。
その秘密は、チーズに使われている「野生の麹菌の酵素」にある。

農業未経験から15年…リンゴ栽培をきっかけに発見した「野生の麹菌」と新たな可能性
野津さんは、もともとウェブページのデザイナーだった。
農業の経験はない。
それでも15年前、青森県の農家の体験談を聞いたのをきっかけに、肥料や農薬を使わないリンゴの自然栽培を始めた。
虫や病気と闘いながら試行錯誤を重ねる中で、リンゴの生育を助ける自然の力として目を付けたのが「麹菌」だった。
リンゴ畑を手始めに、周辺の20か所以上で「野生の麹菌」を探し続けた。
そして2021年、雲南市の須我神社の境内でついに発見する。
分析検査の結果、毒性はなく食用に使えることも確認された。
この菌が持つ力は特別だった。
「アミノ酸を分解する力と、タンパク質を分解してうまみ成分を生み出す力が一般の麹菌よりも何倍も優れていて、これはタンパク質を分解するような製品に使えないかと研究を始めました」と野津さんは語る。

失敗の連続から生まれた“発想の転換”
麹菌はカビの一種であり、酒や味噌、しょうゆと同じ発酵食品であるチーズにも応用できると野津さんは考えた。
ところが、いざチーズ作りに挑戦してみると失敗の連続だった。
気が付けば5年が経っていた。
突破口となったのは、発想の転換だった。
野津さんは「悩んでいる時に、お酒とかしょうゆだったら水なので、チーズで水といったらなんだろうと思った時、モッツァレラチーズだと思ったので、あの保存液に麹をいれてはと思った」と話す。
麹菌を使う酒や味噌、しょうゆ作りには「水」が欠かせない。
モッツァレラは最後の工程で加熱したチーズを水で冷やし、塩水に浸す。
水との相性が良いチーズだ。
そこに麹を活かす糸口があった。

須我神社の麹菌から誕生…自然と神社への感謝を胸に
チーズを熟成させる際、野津さんは「(神社で)拝んで降りてきてくれた麹菌なので拝みます」と、自然と神社への感謝を口にする。
須我神社の境内という場所で授かった菌だからこそ、その想いは自然に生まれるのだろう。
完成したチーズを手にした野津さんは、「これはすごいものができたと思った。イタリアの方にも食べてもらいたいと」と目を輝かせた。

山の上の工房から地域の食卓…そして世界へ
こうして生まれた「麹チーズ」は、2026年にネットショップと出雲市の小売店で販売が始まり、松江市内のレストランでも使われるようになった。
野津さんは、さらに次の開発にも着手している。
発芽玄米からできる乳酸菌を使ったチーズだ。
麹チーズに合うソースの製作・販売も予定している。
「日本中でいろんなところにいる麹菌たちをどんどん発見していって利用していけば、いろんな食品にもっともっと生かせるんじゃないかと思っています」と、野津さんの視線はすでに先を向いている。
JALふるさと応援隊の松崎さんも、取材を終えて、「麹菌は生き物なので、それぞれ違う特性があるそうです。野津さんは、海外での販売も視野に今後も意欲的に商品開発に取り組んでいくとおっしゃっていました」と語った。
日本の発酵文化が育んだ「野生の麹菌」が、チーズという形で新たな可能性を切り開こうとしている。
松江の山の上にある小さな工房から、世界を驚かせる一品が生まれるかもしれない。

