半世紀以上に渡って人気の割烹旅館の女将を務めたひとりの女性が引退した。名物女将の最後の1日。その胸に何が去来したのかー。

創業50有余年 歴史ある旅館

玄界灘に面する福岡市の志賀島。

この記事の画像(21枚)

周囲約10キロの小さなこの島に、半世紀以上続いてきた1軒の割烹旅館がある。海沿いに佇む割烹旅館『満帆荘』だ。

客室はすべてオーシャンビュー。食事だけの利用もでき、美しい海を眺めながら、玄界灘で獲れた新鮮な海の幸を堪能できる。

更にこの旅館に欠かせない存在が、満帆荘の名物女将、貞光ちづ子さん(75)だ。

「志賀島の歴史とか知らなかったことをいろいろ教えてくれる」(40年来の常連客・女性)。「ここに来るときは『ただいま』って言ってます。第二の故郷です」(関東からの常連客・男性)。常連客からの信頼も厚い。

満帆荘は1973年、当時22歳だったちづ子さんが、夫の英臣さんとともに開業した。

「ここで波の音を聞きながら心安らかに、疲れを癒やしてもらいたいというのと大自然の志賀島という私が生まれ育ったところを共有したい、独り占めせんでね」と話すちづ子さん。12年前に夫の英臣さんが引退した後も、息子たちとともに宿を切り盛りしてきた。

しかし75歳になり、この春で女将を引退することを決意したのだ。

女将引退 旅館を引き継ぐ息子夫婦

「高齢になって、体力的にも時代にも乗りきれなくなってきた。後継者もやる気満々!安心ですよ」とちづ子さんが太鼓判を押すのは、旅館を引き継ぐ息子夫婦だ。若女将の恵さん(40)は、結婚前の学生時代からこの旅館で働いている。

「女将(ちづ子さん)がやってきている姿を見ているので、あんなにできるかなというのはあるんですけど、志賀島の良さやこの自然を伝えていきたい気持ちは女将と一緒なので、私らしく頑張っていけたら」と恵さんは話す。

ちづ子さんの息子で、支配人を務める雄大さん(47)が、両親が始めた旅館を継ぐと決めたのは20代のときだった。

「料理の道に進んで、実家の旅館を継ぐというのは漠然とあったが、最終的には地震を経験したときに、僕が守っていかないとというのはありました」と雄大さんは振り返る。

震度6弱 福岡県西方沖地震

2005年に起きた福岡県西方沖地震。震源に近かった満帆荘も大きな被害を受け、建物の取り壊しを余儀なくされた。当時55歳だったちづ子さんの取材インタビューが残っている。

「お店は、私の体の一部なので、取り壊しの時は体の一部をひとつひとつ、剝がされる気持ちで、ここの壁が崩れていると思うと、涙が出るような感じでしたね」(2005年)。

再建に必要な費用は1億円以上。それでも旅館の立て直しを決意した女将は、地震から僅か1年で再出発を果たした。

満帆荘は、見事に立ち直ったのだ。

53年変わらぬ いつも通りの朝

あれから20年―。旅館には、被災当時のちづ子さんの思いが残されている。

「『海原へ早くこぎ出せ満帆丸』その思いを忘れないで頑張ってきました。この先もいろんなことがあっても、何回打ちのめされても、頑張るぞという気持ちで」。

ちづ子さんが引退すると知り、旅館には連日全国から、大勢の常連客が駆けつけていた。そして4月1日。女将生活を終える最後の日。53年変わらぬ、いつも通りの朝を迎えた。

「同じことをずっとやっていたから、きょうが最後というのがね…。明日から何しようかしら」と話すちづ子さん。午前10時。女将として最後の仕事は、常連客の見送りだ。

53年の女将人生を笑顔で締めくくった女将のもとに駆けつけたのは、ともに旅館を始め、一足先に引退した、夫の英臣さん(82)だった。

「お母さん、お疲れさまでした。日本で5本の指に入るくらい、よう働くいいお母さんでした。最高の奥さんです、幸せです」(夫・英臣さん)

福岡市内では、インバウンドの増加などで新たな宿泊施設も増えている。2024年時点の市内のホテル・旅館数は607軒で、10年の約3倍となっている。福岡市では、アジア圏だけでなく、欧米からの観光客誘致にも力を入れていて、満帆荘でも欧米からの旅行客が増えているという。

「とても幸せです。もう本当に幸せです。これ以上の幸せはありません。53年は、あっという間でしたね。毎日出会いがありますから、楽しかったです。出会いが宝、ね」

(テレビ西日本)

テレビ西日本
テレビ西日本

山口・福岡の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。