1995年3月30日、当時の國松孝次警察庁長官が何者かに銃で撃たれ瀕死の重傷を負った事件が未解決のまま今日で31年となる。

銃撃され瀕死の重傷を負った國松孝次警察庁長官(当時)
銃撃され瀕死の重傷を負った國松孝次警察庁長官(当時)
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事件から30年の節目となった去年の1月から7月にかけ、FNNプライムオンラインにて、この事件捜査の全貌を振り返るため全60回にわたり連載した。この程、その連載内容をまとめた書籍「秘録 警察庁長官銃撃事件」が草思社から刊行される。

「秘録 警察庁長官銃撃事件」 草思社
「秘録 警察庁長官銃撃事件」 草思社

FNNプライムオンラインでの初めての長期連載が初めて書籍化される。

膨大な捜査資料

本書では筆者の20年にわたる多くの関係者取材で得た膨大な捜査資料を元に捜査がどのように進行していったのか、「自分が撃った」と話したオウム真理教信者で警視庁元巡査長だった男や銀行強盗を繰り返し逮捕された男が、どのように自供していたのか詳細に描いた。

筆者が入手した膨大な量の捜査資料を元に事件を時系列でまとめ上げた
筆者が入手した膨大な量の捜査資料を元に事件を時系列でまとめ上げた

拘ったのは取り調べや捜査で判明していった事柄を徹底的に時系列に並べることだった。

捜査員が見えていたものを時系列で積み上げて行かないと、捜査の過程をフェアに検証できないからだ。ただ時系列で書いてあるため、話があっちこっちに飛ぶ感は否めない。アットランダムに話が出てくるのは取り調べでも同じである。

31年前に長官が銃撃された日、東京には雨が降っていた 1995年3月30日
31年前に長官が銃撃された日、東京には雨が降っていた 1995年3月30日

実際の捜査でも被疑者の話があっちこっちに飛び、まとまりのない話を取調官は受け止め続けたという。そうした混沌とした取り調べの状況を長年にわたる関係者への取材を元に忠実に再現した。

捜査員の地を這うような捜査で目撃証言が集められた 捜査資料より
捜査員の地を這うような捜査で目撃証言が集められた 捜査資料より

事実は小説よりも奇であり複雑である。「この話、解りづらい」と読者にお感じ頂けたら、筆者は本懐を遂げたと言える。どれだけ複雑な話だったか、実際に繰り広げられた捜査の魑魅魍魎を読者に体感して頂くことが本書の目的だからだ。

元捜査員から怒りの電話が

連載中には、筆者がどういう犯人説を唱えようとしているのか訝しがり、気色ばんだ元捜査員から何度か怒りの電話を頂くという珍事があった。

連載には多数のオウム信者の供述も登場した
連載には多数のオウム信者の供述も登場した

「君は誰が犯人だと思っているのか?」と凄んできた人も複数いた。その都度、「最後まで読んでください」と言って必死でなだめたが、長官事件に対する熱意に胸が熱くなる想いになった。

日本警察にとって重い十字架となったこの事件の全容解明には、自分が撃ったと自供した2人が奇妙な存在として未だに残り続けている。

警察庁長官銃撃を“自供”した中村泰元受刑者
警察庁長官銃撃を“自供”した中村泰元受刑者

この事件を知る多くの人が、心の中で自らの犯人説を堅持している事件であり、自分と違う犯人説を唱える人間を無能な人間でも見るかのように嘲り忌み嫌っている。両者がテレビ番組で対談してくれれば話は早いが、それが不可能であるため本書があると言って良い。

なぜ2人は自供したのか

筆者はニュートラルに複数の犯人説を追ってきた。

犯行を自供した元警視庁警察官の供述通りに神田川で凶器の捜索が行われたが発見されなかった
犯行を自供した元警視庁警察官の供述通りに神田川で凶器の捜索が行われたが発見されなかった

自供した2人の男の供述内容は正しかったのか、その供述に捜査員が未把握の犯人しか知り得ない秘密の暴露はあったのか、捜査は適正に行われたのか。それを検証したのが本書である。

なぜこの事件が未解決なのか、なぜ2人が自供しなければならなかったのか、事件好きの読者にはその訳を感じて頂けると信じている。

上法玄
上法玄

フジテレビ解説委員。
ワシントン特派員、警視庁キャップを歴任。警視庁、警察庁など警察を通算14年担当。その他、宮内庁、厚生労働省、政治部デスク、防衛省を担当し、皇室、新型インフルエンザ感染拡大や医療問題、東日本大震災、安全保障問題を取材。 2011年から2015年までワシントン特派員。米大統領選、議会、国務省、国防総省を取材。