オウムの暴走を止められなかった警察。 捜査の“壁”はなぜうまれたのか

  • 地下鉄サリン事件の6年前から、数多くの事件を起こしたオウム
  • 県警は『冤罪・捜査のミス」と言われることを恐れ、非常に消極的な態度
  • 対応が悪くなってしまった理由とは?

訴えていたのに…動かなかった警察

7月6日、オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと、松本智津夫元死刑囚ら、7人の死刑が執行された。戦後、最大規模でありかつ異例の同時執行だ。

オウム真理教が起こした最も大きな事件は、1995年3月の地下鉄サリン事件だ。死者13人、負傷者およそ6300人という“安全神話”の日本社会が震え上がった無差別テロ事件だった。

しかし、地下鉄サリン事件の6年前から、オウムは数多くの事件を起こしていた。そして「オウム真理教の犯行ではないか」という疑いもかけられていた。

教祖・麻原彰晃は世界を救済できると若者が持つ漠然とした不安を巧みにあおり、東大や京大などの高学歴の若者ですら、魅了していった。

しかし、信者となった若者たちとその家族とのトラブルが多発する。そんな中、子どもをオウム真理教に奪われた家族の元に戻そうと、被害者の会を立ち上げた弁護士がいた。

坂本堤弁護士だった。

1989年、実行犯の幹部信者らは、横浜市磯子区にある坂本さんの自宅アパートで、坂本さん(当時33歳)、妻の都子さん(当時29歳)、そして長男・龍彦ちゃん(当時1歳2か月)の3人を殺害、遺体を運び去った。寝室には、オウム真理教のバッジが残されていた。

犯行はオウム真理教によるものではないかと騒がれたが、麻原らはテレビのワイドショーなどに連日のように出演し「もし、ねつ造、でっち上げて、オウム真理教が犯人と決めつけたら、大変な冤罪事件になってしまう」などと犯行を否定し続けた。

オウム真理教被害者対策弁護団の伊藤芳朗弁護士は警察当局に何度もオウムの犯行を訴えていた一人だ。しかし警察の反応は鈍かったと伊藤弁護士は語る。

「周囲の関係者たちは、『オウム真理教が犯人であること以外、考えられない』と神奈川県警に訴えていた。しかし動かなかった。神奈川県警は、オウム真理教から、やれ冤罪だとか、捜査のミスだとか、言われることを恐れて、むしろ迷宮入りしてもいいから、オウムには触れないでおこうという非常に消極的な態度だったと思います」

「邪魔者はポア(殺害)せよ」

さらに地下鉄サリンの20日前の1995年2月、目黒公証役場事務長・仮谷清志さんを拉致・監禁しする事件が警視庁管内でおきた。
仮谷さんは、山梨県・上九一色村(当時)の教団施設に拉致され、大量投与した麻酔薬の副作用による心不全で死亡した。

前述の伊藤弁護士は、「オウム真理教が拉致して、連れて行ったに違いないと、息子さんたちが、警視庁にすぐに訴えに行くんですが、警視庁はその日、漫然と何もしなかったんですね。その訴えを本気にして、上九一色村の近くの高速道路を下りるところで、全車両を検問すれば、刈谷さんは無事に見つかったはずなんです」

このほかにもオウムは自分たちと敵対する人物を次々と殺害しようと試みる。

男性信者殺害事件、薬剤師リンチ殺人事件、滝本太郎弁護士サリン襲撃事件、男性現役信者リンチ殺人事件、駐車場経営者VX襲撃事件、会社員VX殺害事件、被害者の会会長VX襲撃事件…など松本元死刑囚は次々と自分にとって邪魔な存在を「ポア(殺害)せよ」と指示を出した。

それでもなぜ警察は、捜査に消極的だったのか?当時、警視庁・捜査一課に所属していた久保正行元捜査一課長はこう語る。

「憲法には信教の自由が定められている。もし、捜査ミスだということになったら、憲法問題に発展する。だから、ガッチリとした証拠がないと、捜査令状を請求できなかった」

警察庁内の一部の組織や警視庁公安部の一部でもオウムを危険視し、かなりの期間マークし続けていたのだが、強制捜査に踏み出す決定打を打てないままでいた。

武装化するオウム 防げなかったテロ 

オウム真理教がテロへと傾斜するきっかけとなったのが、1990年、教祖・麻原と幹部24人が衆院選に立候補し、全員落選したことだった。
ところが、松本元死刑囚はこの結果を“国家による陰謀”ととらえていた。いや、そう思いたかったのか、フジテレビ報道局が独自に入手した教団内部の音声テープには、松本元死刑囚が教団の人間に対してこのように語る肉声が残されている。

「お父さん、トリックがあったんじゃないのと、つまり選挙管理委員会を含めた大掛かりなトリックがあったんじゃないかという話を子供が私にするわけです」
「つまり国家に負けた、と」

ここからオウムは一気に暴走を加速させていく。

1993年、ロシアの武器工場での映像がある。早川紀代秀元死刑囚が、この機関銃を日本に持ち帰ろうと交渉している。日本への持ち込みは断念したが、研究を続けた結果、オウムは独自に自動小銃を製作している。さらに科学の専門知識を持つ信者、土谷正実元死刑囚、遠藤誠一元死刑囚らがついに猛毒の「サリン」を作り出す。

1994年6月松本サリン事件が発生する。住民8人を殺害、約600人が重軽傷を負った。松本市ではオウムの支部道場建設をめぐって教団と住民が対立し、訴訟となっており、教団が負ける可能性があった。
松本元死刑囚は判決直前のタイミングでサリンの実験を兼ねて裁判官たちの殺害をするべく教団幹部7人に指示して深夜、裁判官官舎から約30メートルの駐車場で改造した「噴霧車」から、加熱して気化させたサリンを送風機で撒かせたのだった。

ところが、長野県警は、無関係の第一通報者の自宅を被疑者不詳のまま家宅捜索し、この男性が疑われる事態とまでなった(長野県警は直後にはオウムの犯行であることを掴んでいたが捜査は動かなかった。報道の在り方にも問題が残った)

その年の夏には東京・亀戸にあるオウムの道場で異臭騒動、そして翌年、新聞が「上九一色村のオウム施設付近でサリン残留物」というスクープを放ち、オウムへの疑惑が一気に高まる。しかしそれでも警察は動かなかった。

ようやく動いたのは1995年2月、目黒公証役場事務長拉致・監禁事件で警視庁・捜査一課が捜査の表舞台に出て、実行犯がオウムであることを突き止め、強制捜査を行うことを決定した時だった。

しかし、一斉捜索の2日前の1995年3月20日、オウムは捜索を妨害するため地下鉄サリン事件を起こす。警察の敗北だった。

対応の悪さと構造の問題

当時からオウムを取材し続けるジャーナリスト、江川紹子氏は非常にもどかしい思いで警察の捜査を見ていた。

「たとえば坂本弁護士一家殺害事件の初動捜査で家族から通報があった時にすぐに動いていれば、まだ遺体を埋めに行った人たちが帰ってくる前だったんですね。実行犯の一人であった岡崎死刑囚が離脱して、子供の遺体を埋めた場所を地図で警察に送りつけたわけですが、その時にもっときちんと入念な捜査をしていればオウムにたどり着けたはずなんです。

その時に教祖以下を逮捕できる可能性もあったわけだし、土谷正実というサリンを作った人、彼はオウムに出家するときに坂本弁護士一家殺人事件のことをすごく気にして、これはオウムじゃないんだと説得されて、それで納得して入ってるんです。

その彼がサリンを開発しているわけなんです。坂本さんの事件をしっかりやっていればサリン事件は起きなかったと思う。現場の捜査員は頑張っていたが当時の県警幹部は“これは事件ではなく失踪だ”と決めつけて動くことはなかった。」と、当時の神奈川県警幹部の対応の悪さと警察の構造に問題があったと語った。

当時、警察官僚だった平沢勝栄衆院議員も、対応のまずさを認めたうえでこう話す。

「まず、警察は当時のオウムの捜査については厳しく反省していまして、平成8年の警察白書にも反省と教訓ということで、どこを反省しなくてはならないかということを書いています。

これは警察白書としては異例なんです。日本の警察は都道府県単位なんです。今回の犯行の現場というのは神奈川、東京、長野など広範囲にわたった。そこで統一して警視庁がやるなどのシステムになっていなかったんです、当時は。このオウムの反省に立って今は警察法を改正して警視庁が出てやるなどの体制はできたんです。

なぜやらなかったといわれるが、もし万が一違っていたら警察は袋叩きにあうんです。警察は法と証拠に基づいて動くわけですから、もし違っていたら大変なことになるというジレンマの中で警察は発見したものがなかったから動きようがなかったんだろうと思います」

遺体・遺灰はどうなる?行方次第では・・・

佐々木恭子:
刑が執行され松本元死刑囚の遺体・遺灰をめぐって憶測が巡っています。

江川:
遺体・遺骨が妻のところに行けば妻は今のアレフとつながりがありますから遺灰をまるで仏陀の遺灰、仏舎利のように扱って、それをちょっとずつ分け与えることで信仰心を強めたり、それを資金源にする、そういうことも考えられる。

パトリック・ハーラン:
刑が執行されたことは今の信者たちにどのような影響を与えますか?

伊藤:
彼らが殺人行為を繰り返していたのもあれは松本元死刑囚の教義に基づく行動だったわけです。今の後継団体はそういう危険な教えは捨てたと言っていますけれども、またそれが彼らの頭の中で復活してくるかもしれない。
そうなってくるとまた同じことが起きることもありうると思っています。

片山善博:
反社会的な行動につながる可能性はありうると思いますね。恨みとかいろいろな複雑な感情が反社会的な集団に変わる、そういうプロセスがあるかもしれません。

佐々木:
若い層への信者の勧誘は続いていると聞きます。

江川:
警察や公安調査庁の監視をやっているだけではだめだってことなんですよね。
オウムのどんなところが問題で、怖くて、どのような手法で勧誘してくるのか、それに対してどうやって身を守っていくのかというのは若い人たち、学校教育の中でカルトの問題は少なくとも一回はちゃんと教えてほしいと思いますね。

平沢:
オウムもそうなんだが新しい団体が次から次へと出てくる可能性もある。新しい団体はエアポケットになる。
たとえばISなどの信者も日本にはいる。その情報はなかなか当局も関心がなく、情報は入ってこない。そちらも強化していかなくてはいけない。


江川氏は番組の最後に、「オウムの一番の教訓というのは人間の心は案外もろいものだ。タイミングと条件が許すとふっと入ってくるのを許してしまうのを、みんなが自覚しておくのが大事だ」と語った。

オウム問題は、まだ終わっていない。

(「報道プライムサンデー」7月8日放送分)

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