無名の人を神輿に担いで首相にする小沢氏の技

 
 
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平成23年(2011年)9月、野田佳彦さんが海江田万里さんを代表選で接戦で破り、民主党政権3人目の首相になった。

前任の菅直人さんは就任直後の参院選で惨敗し、過半数を失った時点で、1年位しかもたないと見られていたので、野田さんへの交代は妥当だった。驚きだったのはそれまで首相候補に名前が挙がったことのない海江田さんに、野田さんが危うく負けそうになったことだった。

勝負はキャスティングボートを握った鹿野道彦農水相が、決選投票の直前に野田氏支持を決断、事前に決めていた「野田支持なら背広を脱ぐ」という約束通り、グループの30人にわかるように上着を脱いで、30人は野田氏に投票し、海江田氏は惜敗した。

無名の人を神輿に担いで首相にし、世間をあっと言わせるのは小沢一郎さんの得意技で、これまで無名だった2人(海部俊樹、細川護熙)を首相にしている。そして自分は「影」の首相として「ひなた」の首相を繰るのだ。

これについて、「神輿は軽くてパーがいい」と小沢さんが言ったという噂があったが、それは間違いで、小沢さんの側近が言ったというのが真相らしい。

代表選からしばらくたって海江田さんに
「あの時もしかしたら首相になれたかもしれなかったけど、どんな気持ちでした?」
と聞いてみた。

海江田さんは、
「あれよあれよと言う間に代表候補に押し上げられて、いい勝負だったし、このまま首相になるのかなと思ったら実は怖かった」
と照れ臭そうに答えた。

この時の小沢さんの作戦は失敗に終わったが、民主党政権は代表選一つとってもこれまでの自民党政権にはない面白さ、悪くいえば危うさ、があった。

ただ面白いうちはいいのだが、さんざん期待させといて裏切られると、可愛さ余って憎さ百倍で、国民の怒りは爆発する。爆発が繰り返し起こると、政権は崩壊するのだ。
そして民主党政権は政権崩壊につながる時限爆弾があちこちに埋まっていた。

僕の出演していた「新報道2001」は日曜朝の政治討論番組だったのだが、民主党政権下で比較的安定していた番組視聴率は、実は安倍政権になってからなぜか少しずつ下がり始めた。

猪瀬、舛添、小池と続いた「都庁劇場」や、北朝鮮の核ミサイル開発、トランプ登場など、いくつか視聴者の興味を引く政治ニュースはあった。しかし肝心の国政は安定するとともに視聴者の関心を失ったのか、視聴率は思わしくないままで、結局2018年3月に番組は打ち切りになってしまった。

鳩山氏が自ら仕掛けた時限爆弾

 
 

国民は政治が心配だとテレビの政治討論番組を見たくなる。逆に政治が安定すると安心して見なくなるのだろうか。特に民主党政権は政権への期待が大きかった分だけ、裏切られたという思いが強く、「民主党政権がまたこんなへまをやらかした」と怒りながらテレビを見るのだ。

鳩山首相は「普天間移設は最低でも圏外」という時限爆弾を自ら仕掛けてしまったが、他にもマニフェストには「子ども手当一人26000円」とか「高速道路無料化」など、できもしない公約が景気よく羅列され、これらもすべて時限爆弾だった。

それぞれの公約が実現不可能になった時に爆弾は爆発する。番組制作側は「普天間の爆弾はいつ爆発する」「子ども手当はいつ」と、事前に爆発の時期が大体わかるので番組を作るのもラクだった。

テレビを使った革命「事業仕分け」

 
 

民主党政権で「テレビ的」に最も面白かったことの一つが「事業仕分け」だった。
これはマニフェストにも書かれていたが、自民党と官僚が作り上げてきた無駄な予算をバッサリ切って、国民が本当に必要なものに予算を使おうという、実現すれば素晴らしい試みだった。

実際に事業仕分けはテレビで見ていて抜群に面白かった。特に「女性教育会館」という施設の女性理事長を、蓮舫さんが問い詰めた時は圧巻だった。プールやテニスコートなど豪華な施設があり、理事長の給与も高額だ。問い詰められた白髪の理事長は逆上して、「私の話も聞いてください!」と叫んでしまった。誰が見ても蓮舫さんの方が正しいのは明らかだった。

しかもこれらをテレビ局が繰り返し放送する。
テレビを使った革命だ、と思った。

事業仕分けでこの女性教育会館は大幅な予算削減と認定された。ここまでは良かった。しかしその後の予算編成ではなぜかほぼ全額が復活してしまった。教育関係者や官僚が巻き返した、と言われている。

なんなんだこれは?と思った。民主党の政治家が官僚を叱って予算の無駄を正す。国民はその通りだと喝さいを送る。しかしその後の予算編成では、同じ民主党の政治家がその予算を復活させるのだ。これはダメだ。時限爆弾が一つ爆発した。

事業仕分けは行政にいかに無駄があるのかを国民に知らしめた。自民党ではなく民主党にしかできない問題提起だった。これだけでも政権交代した意義はあったと僕は思う。ただ残念ながら、せっかく見つけた無駄を切ることができなかった。これは致命的だった。できないのだったら最初から問題提起などしない方がまだましなのだ。

蓮舫さんはメディアに「仕分けの女王」ともてはやされたが、その後失敗の責任をすべて押し付けられたのはかわいそうだった。悪いのは予算の復活を許した文科相であり財務相であり、首相なのだ。民主党政権ではこのように、起案と初動は素晴らしいのに、最後の詰めが甘いケースが多かった。

マニフェストと子ども手当

有名な子ども手当は月26000円で、所得制限なしというのが選挙前のマニフェストの殺し文句だった。これはウケるだろうなと思った。知り合いの著名な女性ジャーナリストが、「私、子ども手当がいいと思うから民主党に投票する!」と言うのを聞いて、ほら来た、と思った。

また先輩男性記者も、「俺、政権交代に参加したいから今回は民主党に入れる」と言うのを聞いて驚いた。僕には民主党のマニフェストは多くが財源があいまいで、実現可能には思えなかったからだ。

子ども手当は、当初民主党が財源に入れていた配偶者控除廃止を、政権を取った後に撤回。さらに参院で過半数を失ったため野党自民党の言い分を聞かざるを得ず、子ども手当という名称は児童手当に戻され、所得制限もつけ、
さらに額も26000円の半分の13000円にしてようやく実現した。

しかしそれはもうマニフェストの子ども手当とは全く別のものになっていた。子ども手当は実現しなかったのだ。マニフェストは嘘だったのだ。そして辺野古移設と子ども手当の失敗をもって、民主党政権そのものが失敗とみなされたのだった。

自民党の安倍政権は2017年の総選挙で幼児教育の無償化を打ち出した。当時の民進党・前原誠司代表のアイデアを盗んだ、と批判された。

「改正子ども子育て支援法」は5月上旬に成立し、10月から幼児教育は無償化されることになる。

僕の娘は認可保育園に通っている。娘の保育料月額26000円も無償化される。
「これ、子ども手当じゃないか!」と思った。
26000円というのは、民主党政権が09年総選挙のマニフェストで掲げた、子ども手当と同じ額なのだ。
しかも所得制限がないというのも同じ。あれから10年がたち、政権も自民に移ったが、子供を持つ家庭は月26000円の補助を受けることになる。不思議なめぐりあわせだと思った。

もちろん子ども手当は中学卒業まで、幼保無償化は小学校に上がるまで、という違いはあるのだが、子を持つ親にとっての気分は同じだ。

これについて旧民主党の人達の中に「富裕層を利することになるので所得制限をつけろ」と言ってる人がいて笑ってしまった。だって子ども手当の時は所得制限なしで月26000円くれるとあんたたち言ってたじゃないか!

公平を期すなら自民党に対しては、子ども手当の時は所得制限をつけろとあんたたち言ってたじゃないか、と言わねばならないが。

前原さんは「安倍さんにアイデアを盗られた」と怒っていたが、これが彼らの本音だろう。つまり民主党の10年前のマニフェストは実は間違っていなかったのではないか。ただウブだったのでうまく結果に結び付けられなかっただけなのだ。そして皮肉なことに後継の自民党政権がそれを受け継いで、悪く言えば盗んで、政策として実現してしまった。

もしかしたら10年前は子供一人に月26000円の税金を使うというアイデアに、国民はなんとなく「いいなあ」と思うだけで、まだきちんとしたコンセンサスができてなかったのかもしれない。10年という年月が子ども手当の実現を可能にしたのではないか。

民主党には政策立案能力はあったがそれを実現できなかった。自民党にはオリジナリティーはないが、政策を実現する力はあった。欧米では2大政党または2大勢力が大体5年~10年毎に政権交代するが、交代で世間が混乱しないよう、重要政策は野党の意見を聞いて法案を修正する。与野党が協力して長い時間をかけてその国の法律を作っていく。

安倍政権は野党が分裂したこともあって自民一強になったため、法案の修正が行われない。これに野党や、その支持者が苛立っている。

子ども手当から幼児教育無償化までの流れを見ると、悪い言い方をすれば、「安倍政権の幼保無償化は、民主党政権の子ども手当のパクリだ」ということになる。

だが好意的に見れば、実は今の日本の与野党は、相手の法律をつぶしたり、パクったりしながらも、結果的に協力して法律を作っているという不思議な関係なのではないだろうか。

であれば民主党政権というのは安倍さんが言うような悪夢ではなかったのかもしれない。

【執筆:フジテレビ 解説委員 平井文夫】
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平井文夫
平井文夫

言わねばならぬことを言う。神は細部に宿る。
フジテレビ報道局上席解説委員。1959年長崎市生まれ。82年フジテレビ入社。ワシントン特派員、編集長、政治部長、専任局長、「新報道2001」キャスター等を経て現職。