気仙沼商工会議所の会頭を5期15年務め、1月5日に83歳で急逝した臼井賢志さんの葬儀告別式が15日、宮城県気仙沼市内で行われた。
地域経済をけん引した“ミスター気仙沼”
長年にわたり気仙沼の経済界をけん引し、東日本大震災で甚大な被害を受けた気仙沼を強いリーダーシップとスピード感を持った実行力で支え、港町・気仙沼の復興に尽力した臼井さん。
弔辞を読んだ気仙沼市の菅原茂市長は「あなたこそミスター気仙沼と呼ぶにふさわしい存在」とその功績を称え、別れを惜しんだ。
83歳 “突然の別れ”
昨年末の12月19日、臼井さんの自宅敷地内でクマが目撃された。
仙台放送の気仙沼支局が取材に伺うと、臼井さんはすぐに外出先から戻ってきてくれてインタビューにも快く応じてくれた。
とてもお元気そうな様子だったので、年が明けて、亡くなられたという新聞記事を見たときは驚いたし、信じられなかった。
急性心不全。まさに突然の別れだった。
気仙沼とカナリア諸島をつなぐ「昭福丸」
私が臼井さんに初めてお会いしたのは、24年ぐらい前だろうか。
仙台放送開局40周年記念番組を制作するにあたり、参考になる話はないかと遠洋マグロ漁船の現状を聞くために臼井さんが経営する気仙沼の株式会社臼福本店を訪ねた。
当時の私は30代前半、臼井さんは50代後半。明治15年(1882年)創業の漁業会社の4代目社長であり、気仙沼商工会議所の会頭。緊張している私を、とてもやさしく穏やかに迎えてくれ、いろいろな話を聞かせてくれた。
スタイルが良く、おしゃれでかっこいい人だった。初対面だったが、その日の夜は気仙沼でおいしい食事とお酒をごちそうになった。
番組は、宮城県女川町出身の俳優、中村雅俊さんがスペイン領のカナリア諸島を旅する紀行番組で、全国放送した。
カナリア諸島のラスパルマスには、遠洋マグロ漁船の出漁基地となる港があった。
ラスパルマスの港で臼福本店の遠洋マグロはえ縄漁船「第五十八昭福丸」を雅俊さんが訪ね、夜には現地の居酒屋で乗組員たちと一緒に酒を酌み交わし、大ヒット曲「俺たちの旅」を披露。翌朝、出漁を見送るというシーンを撮影した。
カナリア諸島の港に気仙沼の漁船の大漁旗がたなびいた。日本から2万キロ離れた大西洋に浮かぶ離島の港町が宮城・気仙沼と密接につながっていた。
臼井さんの協力がなければできなかった番組だった。
東日本大震災…「市場再開が希望の光」 強い信念で港町の復興を支える
臼井さんは1977年に気仙沼商工会議所の議員になり、1989年に副会頭、1998年に会頭に就任。5期15年にわたって会頭を務め、2013年に退任した後は名誉会頭を務めていた。
つまりは48年もの長きにわたり、気仙沼の経済界をリードしてきたことになる。
気仙沼は2011年3月11日の東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた。湾に面した場所に建っていた臼福本店の社屋も全壊だった。
仙台放送には震災直後の3月30日に臼井さんにインタビューした素材が残っている。
臼井さん
「気仙沼の漁業、水産業は壊滅的な状態です。しかし、一つだけ光があるとすれば、沖で操業していた船は難を逃れた。これが気仙沼の唯一の頼り。ここをスタートラインにして気仙沼をもう一度繁栄させなければならない。」
「まず今は、生き残った船を港に受け入れられるだけの最低限の機能を手作りでもいいから作り、そして船を入れて魚の流通を復活させたい。これは市民にとっても希望につながる。」
気仙沼ではあの日、近海マグロ漁船18隻が沖合で操業し、遠洋マグロ漁船も約40隻が漁に出ていたため難を逃れた。
臼井さんは漁港の再開、市場の復活が港町・気仙沼の希望の光になるという強い信念で、漁港機能再建対策委員会を立ち上げ、関係業界の復旧に向けて陣頭指揮を執り、3か月後の6月には市場再開を成し遂げた。
気仙沼のシンボル・カツオの水揚げ復活は、気仙沼の人たちに大きな勇気を与えたはずだ。
気仙沼を復興させるために、気仙沼を中央とつなぎ、世界とつなぎ、未来につないだ。
2019年には産業振興功労で旭日小綬章を受章した。
カツオを抱えた「恵比寿像」 気仙沼湾を見つめるまなざし
気仙沼湾の神明崎に、湾を行きかう漁船の安全と大漁を願う「恵比寿像」が建っている。
この恵比寿像も震災の津波で流されてしまった。
臼井さんが中心となり、有志で建立委員会が設立され、新たな像が2020年に完成した。
恵比寿像には珍しい「立ち恵比寿」。右足を前に強く踏み出し、左手には鯛ではなくカツオを抱えている。
葬儀が終わった後、神明崎に立ち寄った。恵比寿像は気仙沼の海を静かに見つめていた。
港には多くの漁船が並び、新たなランドマークともなった気仙沼湾横断橋がそびえ立ち、海面は穏やかで日差しを受けキラキラ輝いていた。
臼井さんはこれからも気仙沼を見守り続けてくれるに違いない。臼井さんの大きな功績を思いながら、気仙沼の海に向かって手を合わせた。
(仙台放送 報道制作局 澤田滋郎)
