鹿児島・種子島といえば1543年、鉄砲が伝来した島として知られるが、同時に「ねじ」も伝来していたことをごぞんじだろうか?その種子島の海岸に大きな「ねじ」のモニュメントが設置され、記念の式典が開かれた。

火縄銃に使用されていたねじ 当初は製法分からず

江戸時代に書かれた鉄砲伝来に関わる歴史書「鉄砲記(砲の字は正式には火へんに包)」によると、1543年、種子島に火縄銃が伝わり、島主から刀鍛冶、八板金兵衛が国産火縄銃の製造を命じられた。しかし銃身の底をふさぐ「尾栓」と呼ばれる部分の作り方だけが分からなかったという。尾栓はねじになっているが、当時の日本にねじはなかったのだ。

翌年の1544年、再び来航したポルトガル人の鉄匠に「雌ねじ」の切り方を教わったことで、ようやく国産の火縄銃が完成したとされている。

これが「尾栓」のねじだ!
これが「尾栓」のねじだ!
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「全国に示すことができる」式典で町長がアピール

ねじのモニュメントが設置されたのは、ポルトガル人の鉄匠が到着した地に近い中種子町の熊野海水浴場。ねじ伝来の経緯を説明する案内板は既にあったが、その横に設置された。

2025年12月2日、現地で記念式典があり、中種子町・田渕川寿広町長は「ここがねじ発祥の地とも言える場所、これをきっかけに全国の皆さんにお示しできるようになる。」とあいさつした。

式典であいさつする中種子町・田渕川寿広町長
式典であいさつする中種子町・田渕川寿広町長

鉄砲からロケットへ 今につながる種子島発の技術

式典では地元の保存会による試射も行われモニュメント設置を祝った。かけ声とともに響く乾いた銃声。新潟から訪れていた修学旅行生は「昔のこれ(鉄砲のねじ)のおかげで、今のねじがあるんだなと思いました」と感心していた。

地元保存会が火縄銃を試射!
地元保存会が火縄銃を試射!

中種子火縄銃保存会・深田和幸会長は「ねじは今、スマートフォンから大きな建設機械まで、使われていないものがないというくらい使われている。この機会に立ち寄ってもらい、ねじの伝来について知ってほしい」と話した。

種子島から打ち上げられるロケットや周辺施設にも無数に使われているねじ。種子島発祥の技術は、今も日本の最先端テクノロジーを支えている。

(動画で見る:「ねじはここから来た」 火縄銃伝来の地・種子島にねじモニュメントを建立)

鹿児島テレビ
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