県政を語る上で欠かせないのが、核兵器廃絶を掲げた平和行政である。
「国守りて山河なし」ーー平和記念式典で印象的な言葉を用いた湯崎英彦知事。就任当初は、観光キャンペーンの自虐的キャッチフレーズ『おしい!広島県』が大きな話題になった。
一方、強いリーダーシップゆえの反発を受け、まちづくりをめぐっては苦渋の決断も迫られた。

“分断の町”で選んだトンネル案

長年、地域を分断してきた福山市・鞆港の架橋計画。2012年、湯崎知事は計画を白紙撤回し、山側トンネル案を採用した。

架橋計画に揺れた福山市・鞆港
架橋計画に揺れた福山市・鞆港
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ーーあの撤回は、シビアな決断だったのでは?

湯崎知事:
鞆の町はかなり先鋭に対立していましたので、それをどう進めるかは難しい取り組みでした。橋を架ける・架けないの議論に見えますが、皆さんに集まっていただいて“何を実現したいのか”という話をしました。

ーー最終的にトンネル案を選んだ決め手は?

湯崎知事:
架橋に賛成の方も景観を大事にしていたし、反対の方も生活の利便性を必要としていた。できるだけ双方を満たす方法を考えると、トンネルになったんです。

2025年3月に開通した鞆未来トンネル
2025年3月に開通した鞆未来トンネル

そして、2025年3月に「鞆未来トンネル」が開通。最初の計画から41年の時が経っていた。

ーー開通式で現場に立った時、どんな思いでしたか?

湯崎知事:
いやぁ、長く時間がかかって申し訳なかったなという思いでした。

“副作用”を伴った組織改革

ベンチャー企業の経営者だった湯崎知事が就任直後から手をつけたのが組織改革だった。
予算主義から成果志向への転換、外部人材の積極的な活用。価値観を大きく変える改革は、当然ながら反発も招いた。

ーー反発は相当あったのでは?

湯崎知事:
3つ柱があります。真の県民規定の徹底、現場主義、そして予算志向から成果志向へ。この中で一番反発があったのは“県民規定”なんですよね。

ーー県民規定が、ですか?

湯崎知事:
そんなこと『当たり前じゃないか』と言われるんです。でも実際には徹底されていない場面が多かった。中学生が“勉強してるよ”と言いながら、よく見たらゲームしている…そんな感じで。浸透には時間がかかりました。

民間出身の教育長・平川理恵氏(当時)
民間出身の教育長・平川理恵氏(当時)

外部登用の象徴となったのが、民間出身の教育長・平川理恵氏の起用だった。
しかしNPO法人との契約で官製談合防止法違反が指摘され、職員が罰金刑を受ける事態に。県民の批判は一気に高まった。
当時、湯崎知事はこう述べている。
「強いリーダーシップをもって進めなければなかなか進まないということもある。でも、その強さが“副作用”として出たのかなと」

借地協議録に「ウソ」の文字
借地協議録に「ウソ」の文字

2025年4月には県の土木建築局で虚偽の公文書作成問題も発覚。組織的な関与が疑われる中、県議会などからは“多選の弊害”を指摘する声も上がった。

「平和式典の挨拶はスマホにメモ」

湯崎県政を語る上で欠かせないのが、核兵器廃絶に向けた平和行政である。
2025年の広島平和記念式典で、“核抑止論はフィクション”と断じたスピーチは国内外で大きな反響を呼んだ。
「国守りて山河なし。もし、核による抑止が歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます」
この強いメッセージの背後には、1年をかけた入念な準備があった。

生出演中にスマホ画面を見せる湯崎知事
生出演中にスマホ画面を見せる湯崎知事

ーー挨拶の原文は、自身で用意するのですか?

湯崎知事:
式典が終わったら、すぐ翌年のことを考え始めます。(スマホのメモ画面を見せながら)こうやってスマホにメモっているんです。ほら、今年の言葉もあるでしょ。漢詩の「国破れて山河あり」を引用して「国守りて山河なし」。これ使えるなと思いついて、そこから組み立てていきました。

ーープレッシャーも大きいのでは?

湯崎知事:
もう毎年、プレッシャーでした。

平和行政を推し進めた湯崎知事。そんな中、世間では5期目を目指すのではないかとの憶測もあったが、11月の任期満了をもって退任を表明した。

【湯崎県政16年を振り返る③】へ続く

(テレビ新広島)

テレビ新広島
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