「ここに山姥が住んでいたと言われている。この間まで顔があったのが、欠けてしまった。恐ろしい山姥の姿が彫られていて」
「烏ヶ崎展望デッキは、昔雨ごいをするために山伏さんたちが祈祷を行った場所」
こう語るのは信夫山(福島県福島市)への愛と知識が止まらない信夫山博士・浦部博さん。これまで50年以上にわたり1000回以上信夫山に登ってきた。
そんな浦部さんが魅了された標高275mの信夫山は…
かつては海底にあり、奥羽山脈の隆起そして断層に沿った陥没のなかで孤立するように残されたという歴史がある。その名残で山頂から貝や魚の化石も発見されている。
また、伊達政宗が信夫山に陣を構えたときに、住人たちが迎え入れてくれたことに感謝して、仙台の城を当時の信夫山の呼び名である「青葉山」にちなんで「青葉城」と名づけたという逸話もある。
名曲「さんぽ」は、幼少期を福島市で過ごした児童文学作家の中川李枝子さんが、友達と一緒に信夫山を歩いた記憶を元に作詞されたと言われるなど、エピソードは尽きない。
信夫山博士の浦部さんだが、実は出身は東京。会社創設のためにやってきた福島で、たまたま目に入った信夫山に登山。そこで偶然出会った高齢の男性から、信夫山の歩みを学んだことでその魅力に取りつかれ、今は歴史資料の制作や講演を行っている。
浦部博さんは「信夫山は大きな自然のミュージアム。もっともっと市民の方が信夫山の魅力や価値に気が付いて、信夫山を大事に保存活用してほしい」と語った。