大阪・関西万博のマルタパビリオンで展示されていた、日本の甲冑(かっちゅう)が姫路城へ。

そもそもなぜ、日本の甲冑がマルタに?知られざる深いつながりとは。

■姫路城にマルタパビリオンで展示されていた“甲冑”

国宝・姫路城。そこにいま飾られているのが、大阪・関西万博のマルタパビリオンで展示されていた“甲冑”だ。

(Q.甲冑はマルタから来た?)
マルタパビリオン ジョゼフィーヌ館長:はい。博物館にある箱の中に入っていました」

姫路城とマルタに一体どのようなつながりがあるのだろうか。

マルタから来た甲冑
マルタから来た甲冑
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■パビリオンに入ってすぐ2つの鎧 マルタ騎士団と日本の甲冑

日本から1万キロ以上離れた地中海に浮かぶマルタ共和国。

大阪・関西万博では、パビリオンに多くの人が訪れた。

閉幕後、中を覗いてみるとすでに撤去作業が。

マルタパビリオン ジョゼフィーヌ館長:ここに甲冑と騎士団の展示がありました。

パビリオンに入ってすぐ来場者を出迎えていたのが2つの鎧だ。

ひとつはマルタ騎士団のもの、そしてもうひとつは、日本の甲冑だった。

日本から1万キロ以上離れた地中海に浮かぶマルタ共和国
日本から1万キロ以上離れた地中海に浮かぶマルタ共和国

■福沢諭吉がお礼に寄贈 どこの誰の甲冑かまでは分からず

なぜ日本の甲冑がマルタパビリオンで飾られていたのだろうか。

マルタパビリオン ジョゼフィーヌ館長:(1851年の)ロンドン万博に向かう途中、彼ら(使節団)はマルタに立ち寄り、とても歓迎されたと感じたので、私たちに3着の甲冑を贈ってくれました。

実はこの甲冑、江戸時代末期に日本の使節団が、当時イギリス領だったマルタを訪れた際、「御礼に」と、あの福沢諭吉が寄贈したものだったのだ。

甲冑はマルタの博物館の宝物庫へ。

そして大阪・関西万博で、日本との深いつながりを象徴するものとして、展示されることになった。

しかし、福沢諭吉から寄贈された甲冑は、もともと日本のどこにあって、誰のものだったかまでは分かっておらず…。

福沢諭吉が寄贈したものだった
福沢諭吉が寄贈したものだった

■偶然気づいた家紋 甲冑は姫路城藩主・酒井家のもの

真相がわかったのは万博が開幕した直後だった。

マルタパビリオン ジョゼフィーヌ館長:わーお。ちょうどここで同じ家紋を見つけたんです。

ジョゼフィーヌ館長がプライベートで姫路城を訪れた際、偶然にも目に入った家紋が、甲冑の家紋と同じことに気付いたのだ。

甲冑は姫路城藩主だった酒井家のものであることが分かった。

マルタパビリオン ジョゼフィーヌ館長:甲冑のルーツを知って驚きました!万博は終わったけど、レガシーは続いていることが誇らしいです。

万博をきっかけに分かったマルタと姫路のつながり。

偶然にも目に入った家紋が、甲冑の家紋と同じことに気付いた
偶然にも目に入った家紋が、甲冑の家紋と同じことに気付いた

■故郷の姫路城でレガシーを伝える役目を担う甲冑

閉幕後、甲冑は故郷の姫路城に移され、レガシーを伝える役目を担うことになった。

マルタパビリオン ジョゼフィーヌ館長:この話を、もっとたくさんの人に知って欲しい。万博に来られなかった人も、ここで見られますよ。

江戸時代、マルタ共和国に渡り再び姫路城に戻った甲冑。11月1日から公開される。

(関西テレビ「newsランナー」2025年10月29日放送)

11月1日から姫路城で公開
11月1日から姫路城で公開
関西テレビ
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