滋賀県甲賀市の山あいにある施設「やまなみ工房」。そこで画用紙に向かい、無心で線を描き続ける29歳の女性がいる。

中川ももこさんだ。

彼女が描くのは、幾重にも折り重なる「線」。同じ動作を一定のリズムで繰り返し、様々な色の線が織りなす独特の世界が特徴だ。

ももこさんは自閉症の最重度という診断を受けていまる。
言葉で自分の気持ちを表現することが苦手だ。

「いい思い出ばかりではなくって、大変だった思い出のほうが私の中では多いんです。すぐパニックを起こす、すぐ走り出す、すぐ物を投げる」そう語るのは彼女の母親、みどりさん。

そんな、ももこさんに変化が訪れたのは中学生のとき。学校の授業で渡された画用紙に、ももこさんは線を描き始めた。

「ぱっと見、何を書いているか分からないですよね。だからただ線を書いているのかなって先生も思われたみたいなんですけど」とみどりさんは振り返る。

「でも、よくよく書いている時に言っている言葉を聞くと、どうも『も・も・こ』って言いながら書いていて、型取るとそうかなっていうのがあったので」

字が書けないももこさんが、唯一書ける3文字。それは自分の名前「ももこ」だった。

中川ももこさん
中川ももこさん
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■アートとして認められた「線」原画は33万円

やまなみ工房には、ももこさんのような知的障がいのある人たちが通い、日々創作活動に取り組んでいる。彼らはみな、それぞれのこだわりを持つアーティストだ。

ももこさんの作品がアートとして世間に認められ始めたのは6年前。岩手県発のスタートアップ企業「ヘラルボニー」がやまなみ工房とタッグを組んだことがきっかけだった。

「ヘラルボニー」は知的障がいのあるアーティストと契約し、作品を生かした商品を開発していて、大手企業の製品や万博会場にも、様々なシーンでヘラルボニーのアーティストの作品が使われるようになった。

ももこさんの描いた原画には、33万円の値がつくまでになった。アーティストとして画用紙に向かうことが、彼女の日常となっていた。

幾重にも重なりあう線
幾重にも重なりあう線

■社会では「脱落」の烙印を押されてもファッションでは「違えば違うほど輝く」

そんなある日、やまなみ工房に思いがけない訪問者が現れた。
一流ブランド「アンリアレイジ」のファッションデザイナー・森永邦彦さんである。

森永さんは、ビヨンセのワールドツアーの衣装を手がけるなど世界的に注目されるデザイナーだ。

2014年からはパリコレに進出し、競争の厳しい舞台で高い評価を受け続けている。

その森永さんが今年のパリコレで、「ヘラルボニー」のアーティストのデザインを使うことを決めたのだ。

「ファッションのすごくベースの根っこにあるのは、『人と違う』ということだと思っていて」と森永さん。

「人と違うことというのは、普通は社会からは脱落していくか、烙印を押されるようなことですけれども、ファッションの世界においては、違えば違うほど輝いていく」と「ヘラルボニー」のアーティストの魅力について語る。

「アンリアレイジ」森永邦彦さん
「アンリアレイジ」森永邦彦さん

■「日常」が「神聖」になり「境界」を超える

この日初めてやまなみ工房を訪れた森永さんは、ももこさんが淡々と作品に向き合う姿に目を奪われた。

「この幾線もの重なりと、重なった色がすごい強烈なパワーを持っていて。そしたらその名前をずっと『ももこ』って書いているっていうのを知って。

名前を書くってもうすごく日常的な、誰もがしてきた行為だと思うんですけど、でもそれが僕にとってはすごく神聖なものに見えて。日常はこんなにきらめいているんだなっていうのを、改めて感じました」と森永さん。

分断が進む現代社会で森永さんがあらゆる世界にある「境界」に着目します。

「ファッションの世界というのは実はすごくいろんな境界があって。メンズとレディースが分かれていますし、サイズという境界でも服って分かれています。

様々な境界がある中で、まだパリでは、健常者と障がい者の境界というものを、ファッションにおいて超えて発表していることはないので、すごく挑戦になると思います」と森永さんは語る。

日常が神聖になり境界を超える
日常が神聖になり境界を超える

■「ほんまのあのパリやし、あのパリコレや」

そして先月末、ももこさんたちはパリへと旅立った。日常とは違うパリの街に、彼女は興味津々の様子だった。

母親のみどりさんは、「『招待されているので行けますが、どうでしょうか?』ってお話をもらった時に、『ほんまのあのパリやし、あのパリコレや』って聞いて。『周り』が評価してきてくれはるようになってきたなって」と語る。

一方でみどりさんは、「ただ障がい者やからアートの才能があるように持てはやされてるだけじゃないの?っていうふうに思ってはる人もいると思うんです、やっぱりまだまだ。

もっとどんどん柔らかくなって、間仕切りっていうのがなくなっていったらいいなと、本当にそれは思いますね」と、障がい者アートという画一的な見方にこそ、芸術の「障害」になっているのではないかと、疑問を投げかける。

パリコレ当日。続々と個性的な衣装がランウェイに登場する中、ついに、ももこさんの「線」が織りなす世界が、ファッションという形で姿を現した。

ひとつひとつのラインが重なり合い、唯一無二のデザインとなって、世界中から集まったファッション関係者の前で輝きを放った。

パリコレで喝采を浴びるももこさん
パリコレで喝采を浴びるももこさん

■変わらぬ日常へ 淡々と「線」を描く

パリコレから1週間。
ももこさんの姿は、滋賀の作業施設にあった。

熱狂に包まれたパリの空気はどこへやら。クールに、淡々と。ももこさんは今日も変わらず制作に取り組んでいる。

ももこさんにとって、線を描くという行為は、パリコレに出たことよりも、もっと本質的なことなのかもしれない。

日常と非日常が交錯する「線」は、これからも新たな世界へとつながっていく。


(関西テレビ「newsランナー」2025年10月21日放送)

パリコレの熱狂がなかったかのような日常
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関西テレビ
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