秋篠宮家の長男・悠仁さまは、19歳の誕生日を迎えた9月6日、「成年式」に臨まれました。皇室で成年式が行われるのは、秋篠宮さま以来40年ぶりです。
両陛下が見守る中で冠を
19歳の誕生日でもある9月6日。この日、悠仁さまが最初に臨まれたのは、秋篠宮邸で執り行われた『冠を賜うの儀』。天皇陛下の使いから成年の冠を受け取られた悠仁さま。「誠にありがとうございます」とお礼を述べられました。

親王旗がつけられた陛下の専用車両に乗り込み、ご家族に見送られ皇居に向かわれました。

皇居・宮殿「春秋の間」で執り行われた中心的儀式『加冠の儀』。

未成年の装束「闕腋袍(けってきのほう)」に身を包み、「空頂黒幘(くうちょうこくさく)」と呼ばれる額当てを着けられた悠仁さま。

天皇皇后両陛下と、秋篠宮ご夫妻、愛子さまなど皇族方や親族らが見守る中、「空頂黒幘」が外され、陛下から授けられた冠がのせられました。

そして「掛緒」と呼ばれるひもで固定すると、両端が和ばさみで切り落とされ、「パチン」「パチン」という大きな音が春秋の間に響きました。

儀式で掛緒を切ったり、装束の裾を引いたりする重要な役目を担ったのは、幼少のころから悠仁さまを支えてきた側近です。

冠を着けた悠仁さまは、ゆっくりと両陛下の前に進み「本日は成年式にあたり冠を賜り、誠にありがとうございました」とお礼を述べられました。

そして、ご両親には「本日は、成年式を挙げていただき、誠にありがとうございます。成年皇族としての自覚を持ち、そのつとめを果たしてまいりたいと存じます」と決意の言葉を語られました。

この日、秋篠宮ご夫妻は幼い頃からの悠仁さまを懐かしむように感慨深く晴れ姿を見守られたといいます。
この後、成年の装束「縫腋袍(ほうえきのほう)」に着替えられた悠仁さま。儀装馬車に乗り込み、宮中三殿へ向かわれました。

この馬車は、40年前の秋篠宮さまの成年式でも使われたものです。

皇室の祖先や神々が祭られている宮中三殿。悠仁さまは回廊をゆっくりと進み、成年皇族として初めて参拝されました。

宮中三殿への参拝を終えた悠仁さまは、燕尾(えんび)服に着替え、両陛下に挨拶する『朝見の儀』に臨まれました。

悠仁さまは「本日の成年式にあたり、冠を賜り、天皇皇后両陛下の御臨席の下、成年式を終えることができましたことに深く感謝申し上げます。成年皇族としての責務の重さを自覚し、さらに勉学にいそしむとともに経験を積み、これまで賜りました御恩にお報い申し上げたく存じます。ここにお礼を申し上げます」と述べられました。

陛下は「成年式を挙げられたことを心からお祝いします。これからは、学業に励まれるとともに、皇族としての務めを立派に果たされるよう願っております」と激励されました。

また、皇后さまは「今日は成年式おめでとう。これからもお体を大切にされ、どうぞお元気に様々な経験を積まれますようお祈りしております」と期待の言葉を掛けられました。

このあと、陛下から最高位の勲章「大勲位菊花大綬章」を授与された悠仁さま。

秋篠宮邸に戻り報道陣に対し「まず成年式を滞りなく終えることができ、安堵しております。これまで見守ってきてくれた家族をはじめとするお世話になった方々に深く感謝申し上げます」と率直な感想を話されました。

夜には都内のホテルで、私的なお祝いの夕食会が行われ、両陛下や上皇ご夫妻、皇族方、親族などが出席し、2時間近く和やかな時間を過ごされました。

こちらは招待者に贈られた記念の「ボンボニエール」。

銀製と磁器製の2種類あり、ともに秋篠宮家の紋に悠仁さまの「お印」コウヤマキ、そして、悠仁さまが大好きなトンボがあしらわれています。
秋篠宮さま「皆さまにも引き続き見守っていていただければ」
9月7日から9日にかけて、三重県の伊勢神宮、奈良県の神武天皇陵、東京・八王子市の武蔵陵墓地を相次いで参拝し、成年式を終えたことを報告された悠仁さま。10日には都内で開催された成年を祝う昼食会に出席されました。

三権の長や筑波大学の学長ら招待客32人が出席した昼食会。石破首相のお祝いの言葉に対し、秋篠宮さまは「この後(のち)、成年の皇族の一員として公的な場所にも出席することが増えてくることと思います。一つ一つを大切に考え、そして務めを果たしていってくれることを願っております。皆さまにも引き続き見守っていていただければ、ありがたく存じます」と挨拶されました。

シャンパンで行われた乾杯。19歳の悠仁さまは、ノンアルコール飲料が入ったグラスに口をつけ、笑顔を見せられました。

成年式の一連の行事を無事に終え、成年皇族として大きな一歩を踏み出された悠仁さま。当面は、筑波大学での学業を優先させながら、皇族としての活動の幅を広げられていきます。
(「皇室ご一家」9月14日放送)