姫路市の宮大工が修復した神輿が、ついに、被災地・能登へ。
細やかな細工が美しい神輿。1年7カ月前は原型がないほど、バラバラだった。
福田喜次さん:パーツがわからへんから胃が痛い。一から作るほうが簡単やな。
そう言いながらも神輿の修復に乗り出したのが姫路市の宮大工、福田喜次さん(73)。
福田喜次さん:職人根性が湧いてくるんです。
一体なぜ、この神輿の修復に向き合ったのか。

■地域のシンボルだった「神輿」を襲った最大震度7の地震
輪島市黒島地区。毎年8月17日と18日に行われる「黒島天領祭」では、地元の人が神輿を担ぎ街中を練り歩く。
280年前、江戸時代に作られた神輿は、地域のシンボルとして大切に受け継がれてきた。
しかし、去年1月、能登半島を最大震度7の強い揺れが襲った。
黒島地区でも、住宅に大きな被害が。神社も例外ではなかった。
氏子総代表・林賢一さん:そこに神輿を入れてあった。
神社に保管されていた神輿は、屋根に押しつぶされ粉々に…

■1枚の写真だけを手掛かりに1000個以上に分かれた部品から神輿を修復
ボランティア団体を介して姫路市から駆けつけたのが、宮大工の福田さんだった。
福田喜次さん:『最低3年4年は祭りができません』という(地元の人の)顔がな、もう80過ぎ位の人がもう泣き顔やねん。これ持って帰らしてくれるかって頼んだんです。
福田さんは神輿を持ち帰り、無償での修復を決意。
宮大工一筋、50年以上。「灘のけんか祭り」の神輿を手がけ、「現代の名工」にも選出。腕には自信があった。
しかし、1000個以上に分かれた部品。修復する手掛かりは、震災前に撮影された1枚の写真だけだった。
福田喜次さん:屋根の下のこの上がめちゃくちゃ手間がいる。難しい…。
少しずつ、少しずつ手探りの作業で、神輿は元の姿に戻りつつあった。

■輪島市黒島地区では、家の解体を決めた人やふるさとを離れた人も
一方、今も輪島市黒島地区はの復旧が進んでいません。
疋田静江さん:伸び放題で。
疋田静江さん、81歳。
疋田静江さん:ここはこないなってしまったし。上の方は。
壊れた家を直し、ここでまた暮らすことが目標だった。
疋田静江さん:お嫁に来て建てた家やし、2007年の地震のときに改めて全部自分で直した家やからね。それはものすごく自分にとってこの家は、私の人生そのものやと思っている。
最後まで悩みましたが、家を解体することを決めました。子や孫に迷惑がかかると考えたからだ。
疋田静江さん:私もじいちゃんも歳いっているし。自分の意地を通しても子供たちの負担にもなるし、折り合いをつけて。これからは子供たちの世話にならないといけない身になっているからね。
現地再建を目指し、近くの仮設住宅で生活を続ける人もいるが、ふるさとを離れる人も少なくない。

■修理から8カ月、バラバラだった神輿が立派な姿に
福田喜次さん:できた。感激やな、涙がでる。
能登から持ち帰った部品と姫路で作った新たな部品が見事に融合。
無償で修理すること8カ月。ようやく完成し、神輿は再び黒島へ向かう。

■輪島に戻ってきた「神輿」に手を合わせる住民「前へ向いて生きていかないとね」
祭り当日。
ふだん仮設住宅で暮らす地元の人や、ふるさとを離れた人たちが続々と輪島市黒島地区に集まってきた。
福田喜次さん:いよいよ。見せてもらいます。祭りを。
神輿が黒島地区をまわる。
地元住民:うれしいですね。お祭りの主役ですもんね。
家を取り壊す予定の疋田さんの姿も。
疋田静江さん:やっぱりお祭りっていいね。悲しんでばかりおられんね。前へ向いて生きていかないとね。ありがとう。

■「黒島の人たちが神輿に手を合わせる姿、言葉になりません」と福田さん
福田さんも地元の人たちの輪に加わります。
地元住民:眺めりゃ棟梁の姿が。中に魂が入っている。
福田喜次さん:直した一つずつの部材はパーツどまりで、それを組み立てて神輿になっているから、みながそれに手を合わせる姿を生でみたときの思いはもう言葉になりません。それくらい感動しました。黒島の人たちの姿を頭に焼き付けて帰ります。
復活した神輿のように。黒島の人たちも前へ進む。
(関西テレビ「newsランナー」 2025年9月10日放送)
