太平洋戦争の末期、疎開船・対馬丸が撃沈された事件から2025年8月22日で81年を迎えました。
那覇市の小桜の塔では慰霊祭が執り行われ、遺族や親族が鎮魂の祈りを捧げました。
対馬丸記念会 高良政勝代表理事:
多くの夢を持っていた子どもたち。その無念と悲しみは80年あまりの時を経た今もなお、私たちの心に深く刻まれております
1944年8月22日、那覇から九州へと向かっていた疎開船・対馬丸が、米軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。
名前が分かっているだけでも1484人が犠牲となり、そのうち1000人あまりが0歳から15歳の子どもたちでした。
対馬丸の悲劇から81年となったきょう、那覇市の小桜の塔で執り行われた慰霊祭には、遺族や親族をはじめおよそ300人が参列し、平和の祈りを捧げました。
5歳で対馬丸に乗った 高里シズ子さん(86):
3日間、海に流されて、いかだにしがみついて、母におんぶされて、「水が欲しい」「水が欲しい」というのを憶えています。こんなに平和な世の中になっていることを、(亡くなった人たちに)見せてあげたかったと思います
高里シズ子さんの孫 高里紗和さん(高3):
自分だったらと考えたら本当に怖いし、生きていてくれて本当にありがとうって思います
母が対馬丸事件の生存者 桑江順子さん(77):
実際に経験した母たちの状況を私たちが直接聞いている、私たちの子どもからますます遠のいていくので。悲劇は二度と繰り返してはいけない。最近はとても怪しいなと思っているので、絶対に平和は守っていかないと
対馬丸が撃沈されたあと、多くの犠牲者が流れ着いた鹿児島県奄美大島の宇検村では、住民が遺体を丁寧に埋葬し、生存者の救護にあたりました。
鹿児島県宇検村 元山公知村長:
最初はかん口令が敷かれていて、我々が小さいときには(対馬丸の)話を先輩方もしなかった。事実を伝えていくということで、それが平和につながっていくと思うので、伝えていきたい
対馬丸記念会 高良政勝代表理事:
沖縄が経験した歴史を、後を継いでくれる人が我が事として思って、平和でないといけないと意識を持ってくれたら
当時を語ることのできる生存者が少なくなっている中、今年は対馬丸事件をテーマにした舞台やドキュメンタリー映画が制作されるなど、記憶と平和をつないでいこうという機運が高まりました。
また、対馬丸記念館では、太平洋戦争中に撃沈された「沖縄関係戦時沈没船」の再調査に取り組み「海の戦争を忘れない」と題した企画展を開きました。
対馬丸記念館 平良次子館長:
他の船も沈められたということがあまり知られていないというのを、とても気になっていた。対馬丸記念館で他の戦没船も扱うべきではないかという気持ちはずっとありました
これまで、県民が犠牲となった戦時沈没船は26隻とされてきましたが、対馬丸記念館の調査で新たに5隻の存在が明らかになりました。
平良次子館長は、対馬丸をはじめとした船の情報や学童疎開の苦労も詳しく発信できるような記念館づくりを目指しています。
悲劇の記憶を風化させないために、継承の輪がこれからの平和を支えていきます。