大正時代から100年以上にわたって影絵劇の活動を行っている団体が仙台にあります。年々、メンバーの高齢化などで活動が厳しくなっている中、今年、しばらくぶりの新作に挑戦しました。その中心となったのは中学3年生です。
暗闇に浮かび上がる、光と影の物語。影絵は心に残る不思議な世界を映し出します。
この影絵劇を大正時代から仙台で続けているのが「おてんとさんの会」です。
仙台出身で童謡や童話の愛好家だった天江富弥と、仙台で詩人として活躍したスズキヘキを中心に、1921年、日本で初めて童謡専門誌を創刊した、『おてんとさん社』をルーツに持ちます。
メンバーの高齢化により、設立101年目にあたる3年前に活動休止しましたが、以降も、有志が毎年、影絵の公演を行っています。
100年以上の時を超え、変わらぬ形で受け継がれてきた影絵。メンバーの平均年齢が70歳を超える中、希望の星となっているのが、中学3年生の加藤光太朗さんです。
メンバーの鳥崎さん
「光太朗さんは頼もしい存在、後継者。すごい頼もしい」
加藤光太朗さん
「影絵に興味持つ人が増えるように頑張らないと」
メンバーであり父の理さんの影響で幼いころから影絵に親しんできた光太朗さん。
中学生になったおととしからは親よりも年の離れた先輩たちに交じって実際に影絵に参加するようになりました。
「光太朗くん、できそう?うまくここで手を隠してね」
「これ置いてここで動かして…」
今ではすっかり、中心的な存在となっています。
おてんとさんの会の影絵は大正から昭和にかけてヘキの童謡などを題材に60編ほど作られ、現在はそのうち15編ほどを復元して公演しています。
そんな中、戦後80年の今年、ヘキの童謡をもとに新作の影絵をおよそ100年ぶりに制作することになりました。
題材は、ヘキが終戦翌年に創作したとみられる「アキチノオツキサン」。空襲におびえる日々が終わり、夕方の満月のもと空き地でキャッチボールをする昭和の情景を切り取った、2分ほどの歌です。
歌詞を解釈して影絵にするにあたり、光太朗さんがこだわったのはこの部分。
『私も空き地へ行ってみよう~♪』
加藤光太朗さん
「最後に『空き地に行ってみよう』という歌詞が、月が言っているのか、それ(キャッチボール)を見ている。子供が言っているのか、見ている人にそういうのも考えてほしい」
歌を締めくくる『私も空き地へ行ってみよう』という歌詞。楽しそうにキャッチボールをする子供を見守るお月さんの言葉だと解釈し、お月さんに表情を付けることにしました。
父・理さん
「私は子供連れの大人が行ってみようと言っているとしか思えなかったんですけど、息子は月と言ったんです、そういう発想があるので、人形作っても面白そうだなと思った」
作成した絵コンテをもとに、影絵の背景や人形を制作します。
本番が2週間後に迫った最後の練習日。完成させた人形をスクリーンに写してみます。
加藤光太朗さん
「そっち手映っちゃうね。ゆっくり過ぎると、キャッチボールしている感じがしないじゃん」
父・理さん
「キャッチボールしているのところは速く、曲の中で変えていいんだよ」
繊細さが要求される影絵。本番まで練習を積み重ねます。
迎えた本番の日。夏休みの時期とあって会場は多くの親子連れで満席です。
舞台裏の光太朗さん
「結構、お客さんが来たなと思って、雨だから大丈夫かなって思ってたんですけど、影絵をやりたいなって思ってもらえるように頑張りたいです」
影絵の魅力が伝わり、影絵の輪を広げたいというのが光太朗さんの思いです。
拍手の中、公演がスタート。
幻想的な影絵の世界。子供たちも大人も、その世界に惹き込まれていきます。
公演の終盤、新作の披露です。
司会者
「昔の子供たちが、戦争が終わって、解放された気持ちで空き地でキャッチボールをする。その光景をお月さんがニコニコしながら眺めている、そういう光景を感じていただけたらなと思います」
「夕方のお月さん~♪」
親子で息ぴったりです。
「私も空き地へ行ってみよう~♪」
この日は7演目を披露。ミスなく、無事にやり遂げ、大成功のうちに幕を閉じました。
観客の小学生
「知らない歌もあったし、知っている歌もあったので楽しかったです」
加藤光太朗さん
「観客がたくさん来ていてリアクションが面白かった。人を増やしながらもうちょっと新しい作品とか、昔やっていた作品とかいろいろやっていきたいです」
大正時代から形を変えず続いてきた影絵。その灯りは光太朗さんの手で、新しい時代に、受け継がれていきます。