北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記の娘“ジュエ”氏の存在感が高まっている。現地視察では金総書記とともに常にクローズアップされ、時には金総書記よりも前に出たり、高い位置に立つ姿も見られるようになった。このまま“ジュエ後継”へ進むとの観測が出る一方で、家父長制が根強い北朝鮮で女性後継者が本当に受け入れられるのか、疑問も残る。北朝鮮の人気ドラマから、“ジュエ後継”への課題を探った。
リアルな“腐敗”を描き大人気
北朝鮮でこの春、大人気となったドラマがある。
「白鶴ヶ原の新しい春」というタイトルで、立ち遅れた地方の農村に派遣された朝鮮労働党の幹部が、農民と苦楽を共にし農村を立て直すというストーリーだ。

いかにも北朝鮮の体制宣伝ドラマ的なストーリーだと思うかも知れないが、中身はこれまでと大きく違う。農民から各階層の幹部に至るまで、様々な腐敗の実態が実にリアルに描かれているのだ。
例えば、末端の農民は「チャンマダン」と呼ばれる自由市場での商売に精を出し、集団での農作業を免除してもらうために、班長と呼ばれる現場責任者に賄賂を贈る。
農村の責任者は上司にあたる郡幹部と癒着し、肥料や種子の手配を優遇してもらうため、本来農民に分配すべき収穫物を献上したりする。
収穫物の横流しなどの不正事件が生じれば、実際の黒幕ではなく末端の幹部が処分されて終わるなど、不正腐敗をめぐる具体的な事例が次々に登場する。北朝鮮住民にとって身近な問題を取り上げることで、庶民が「幹部」に抱く日ごろの不満を解消する内容となっている。
“韓流”的要素
恋愛など“韓流”的な要素を盛り込み、視聴者の興味を逸らさない工夫をしている点も、これまでにはない特徴の一つだ。

息子の将来を考える母親が恋人の女性に対し、息子と別れるよう通告する場面や、互いに反発しあいながらも惹かれていく恋人同士、女性の心をつかむ甘いセリフなど韓流の定番ともいえる手法が散りばめられている。
北朝鮮のドラマでは若者の恋愛やその過程が描かれることは、これまでほとんどなかっただけに視聴者にとっては新鮮で、若者にも受け入れられやすかったと言える。
こうした変化は、金総書記の「現実路線」を反映していると考えられる。
かつての北朝鮮は、体制にとって都合の悪いことは徹底的隠蔽することが至上命題とされてきた。北朝鮮の最高指導者や指導機関である朝鮮労働党に「間違い」があってはならなかったのである。

しかし、金総書記の時代になってからは、衛星打ち上げや駆逐艦進水式など重要プロジェクトの失敗や5カ年計画の目標未達を認めるなど、指導部の「失敗」や「誤り」を認める方向に転じた。
もちろん、体制維持が可能な範囲であって、全てを明らかにしているわけではないだろう。
だが、失敗を「隠蔽」して現実離れした主張を展開するより、ある程度認定・公開して対策を示した方が、住民統治の上でプラスと判断したと考えられる。
こうした方針は北朝鮮のドラマ制作にも大きな変化をもたらした。
「失敗」を思想教育の材料として活用し、そこに韓流的な娯楽要素を加えることによって新たな宣伝扇動の手段としていることがわかる。
北朝鮮社会と女性の位置づけ
ドラマに描かれた北朝鮮女性の姿は大きく二つに分けられる。
一つは金総書記や党の方針に従わず個人の利益を追求する「悪女タイプ」、もう一つは党の幹部として働く夫を支える「内助の功タイプ」だ。
金正恩時代には人々は配給制度に頼らず、自力で生活を支えることが常態化した。
チャンマダンと呼ばれる自由市場で商売し、生計を維持するうえで主役となったのは女性たちだった。

ドラマの中にも市場で稼ぎ、個人の生活を優先する農民の女性が描かれる。
女性はコネを使って家畜から肥料、穀物に至るまでさまざまな物資をヤミで融通し大金を稼いでいる。村で技師長を務める夫に代わって肥料1トンを入手するなどやり手ぶりを発揮する。家庭でも夫は妻に頭が上がらない。脱北者の証言でも女性が経済的な主導権を握ることが増えていることが報告されており、ドラマに描かれた農村女性は一種の典型と見ることができる。
しかし、ドラマでは個人の利益、個人の生活を優先する女性たちは「腐敗堕落」した存在であり、正すべき対象とされる。

一方、党幹部の家庭は徹底した家父長制で、世帯主の男性が絶対的な権力を持つ。
農村への引っ越しや子供の転校、大学の選定など家族にとっての一大事が全て男性主導で決められる。妻や子供に相談することもしない。
党幹部であれば家族を犠牲にしても、金総書記の方針、党の政策を実現することが優先され、美徳とされるためだ。
この暗黙の了解のもと、妻は気に入らないことがあってもひたすら夫の決定に従わざるを得ない。夫を理解することは即ち党の方針を理解することであり、これが「内助の功」として称賛される。
庶民の間には個人生活の追求が浸透する一方、党幹部らエリートの世界ではひと昔前の「昭和の日本」でもありえないくらい、男性優位の社会が現在も続いているのだ。
モデルなき“ジュエ”の将来
金正恩総書記の周囲には女性幹部の活躍が目立つ。崔善姫(チェ・ソニ)外相や妹の金与正(キム・ヨジョン)副部長、儀典を務める玄松月(ヒョン・ソンウォル)副部長らが代表的だ。

だが、これらの女性たちはあくまで金総書記を支える立場であり、指導者ではない。
北朝鮮ドラマでも今のところ、組織のリーダーとして集団を指導する女性は登場していない。超男性優位の社会がこのまま続けば、 “ジュエ”氏が後継者になった場合のロールモデルを探すのは困難と言わざるを得ない。
ただ「女性」性が統治の象徴にたとえられるケースはある。
朝鮮労働党は無限の包容力と指導力で人民を導く「オモニ(母親)」のような存在、「母なる党」として人民の敬慕の象徴となっている。

“ジュエ”氏も母親のような包容力のある存在、象徴的な女性指導者として求心力を発揮する形になるのだろうか?
“ジュエ”氏は「尊敬する子弟様」「金総書記の最も愛するお子様」と報じられているが、名前はまだ明らかにされていない。役職についたとの報道もない。
その後継の実現には、男性社会の変革という目に見えない壁を乗り越える必要がありそうだ。
(フジテレビ客員解説委員、甲南女子大学准教授 鴨下ひろみ)