8月6日の広島原爆の日に合わせ、松江市の北公園でも追悼の集いが営まれました。
原爆死没者の慰霊碑前に姿を見せたのは、県内在住の被爆者などでつくる県原爆被爆者協議会のメンバーです。
会長で、2024年のノーベル平和賞を受賞した日本被団協の中国ブロック代表理事を務める本間恵美子さんなど20人余りが「追悼の集い」に参列するため集まりました。
本間恵美子さん:
まぁようこそ。暑いのに。
本間さんが声をかけたのは協議会のメンバー・角エミコさん(92)。
広島市内で被爆し、現在は松江市に住み、被爆体験の語り部として活動しています。
角エミコさん:
暑いときだけど歩けるから。1人だけでも参加しないと、あなたがたに申し訳ない。
本間恵美子さん:
角さんの顔見ると、みんな元気になります。
角さんは、今年は92歳の体調も考え、本間さんは、きょうの集いへの参加を強くはお願いしなかったといいますが。
角エミコさん:
前々から決心していました。来る予定たてていました。
被爆80年の節目を迎えた今年、被爆一世としてどうしても参加するつもりでした。
そしてもう1人、その輪に加わったのは益田市から参加した福寄澄江さん(88)。
姉を探すため、原爆投下直後の広島市に入り、被爆しました。
福寄澄江さん:
被爆された多くの方が体育館でむしろもひかないで寝かされていて、大変な情景を私、2年生だったけど鮮明に覚えていますね。その時の感情というのはあったかどうか分からない。何もなかったかもしれませんね。すごくって。光景が。
当時の光景を、今もはっきりと覚えているという福寄さん。
高齢化が進み、参加していた益田市の被爆者のグループが解散してしまい、記憶を次の時代に引き継ぐためどうしても参加したいと松江までやってきました。
午前8時、広島市で平和記念式典が始まりました。
そして、午前8時15分。原爆の犠牲者を悼み、慰霊碑に花を手向け、祈りを捧げました。
福寄澄江さん:
80年にもうなったのかな、あっという間だなという気がします。やっぱり自分の家族が被爆のためにずいぶん変わりました。こうではなかっただろうなという。とにかく戦争はいけません。地獄ですから。平和がきてほしいですね。
角エミコさん:
今日の日になると、(原爆が落ちたときのことを)特に思い出しますね。歩ける間はいろいろ伝えていきますと誓いをしました。1人2人のところへでも伝えていきたいです。(核廃絶に向けて)80年たっても、まだあまり変わってないので、これから残り少ない年ですけど、もうちょっと頑張らないといけないと思って。
きょうの集いには被爆4世となる子どもたちの姿もありました。
子ども:
(きょうは)広島に原爆が落とされた日。おばあちゃんとお母さんから聞いた。
被爆者の高齢化が進み、被爆の記憶、被害の実相を後世にどう伝えるかが課題となる中、次にバトンを託す希望も芽生えています。
島根県原爆被爆者協議会 本間恵美子さん:
私たち2世は戦争を知らない世代ではありますけども、皆さんが80年間頑張っていらした被爆者の皆さんの思いを受け止めないといけないと思っていまして、私たちが今度は次の世代へ伝えていかないといけないと思っています。
本間さんなど協議会のメンバーはこのあと、松江市内でパネル展を開催。原爆による被害の実相を伝え、核兵器廃絶を訴えました。