岩手宮城内陸地震と東日本大震災。二度の大災害で救助活動を行った元消防士が今、宮城県内で、「フィットネスジム」を経営しています。ジムを開くことで、消防士の時に感じた「防災への課題」を解決しようという狙いです。起業に至った思いを伺いました。
栗原市志波姫にあるフィットネスジム「UGOQ(ウゴク)」。様々な部位を鍛える筋力トレーニングマシンや有酸素運動のためのマシン。そして、ヨガや体操を行うスタジオもあります。
「1・2・3…そうそう上手上手!」
指導するのは、経営者の後藤聡さん(46)です。栗原市鴬沢出身の後藤さん。2020年まで、栗原市消防本部に所属し特別救助隊として、火災や交通事故など様々な場所で救助活動を行ってきました。
現在は栗原市・登米市・石巻市で4店舗のジムを経営者しながら、ジムに通うお客さんに自ら体力づくりについて指導を行っています。
70代
「上半身とか胸の筋肉とか。今まで痩せていたけど大きくなりました(笑)若くなりました」
70代
「前は中年太り。それがスリムになった。太らない体質になりました。自分が変わってきているのが分かる。気持ち的に前向きになってきます」
60代
「膝・肩・手など痛いところが多かったけれど、ここに来るようになって、今は全然痛みも無くなって、来ている方が調子いいです。感謝です。感謝しかないです。後藤さんには」
後藤さんが、多くの人に体力を付けてもらいたいと考えるわけ。それは、消防士時代に感じていた地域の課題があります。
後藤聡さん
「人口が減っている町で救急出動が増えていた。それはなぜかと調べた時、車で移動するのが田舎の当たり前なので、そういったものが病気につながったり、救急出動の増加につながっているのは分かっていた。ひいては、病院・介護施設にも影響してくるので、その未来を危惧した上で、消防署が忙しくならないようなまちづくりとして、健康づくりの分野に転職をした」
そして、健康であることは災害時にも必要だと強調します。
後藤聡さん
「筋トレは最強の防災。そもそも災害はいつ起こるかわからない、体が健康でないと逃げられない。もっと言うと、いろいろな助けができなくなる。体づくりは一番の備え、そこが根底にある考え」
その考えは、消防士時代に経験した2度の大災害を通して実感したものです。
一つ目の災害は、2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震です。発生の翌日から駒の湯温泉で、行方不明者の捜索にあたりました。
後藤聡さん
「自分の町が危機的な状況になっている。その課題に、直接的に改善するための仕事をつかさどっている。そういう立場として当時は命がけで、自分の命が削られてもいいという覚悟で現場に入っていました」
困難を極めた捜索活動。大量の土砂に飲み込まれ7人が亡くなった駒の湯温泉では全員が見つかるまでに1年以上がかかりました。
そして、2011年3月11日。
後藤聡さん
「非常に体も使いましたけど、頭も使いながら、人助けの難しさと無力さを感じました。結局、生きている人は一人も助けてないですから」
東日本大震災です。後藤さんは、震災直後、南三陸町志津川地区と戸倉地区に入りました。当時、目にした光景は、何年経っても忘れられないと言います。
後藤聡さん
「ただ涙が出てくるというか、言葉が失われる感じでした。無念さというより、その時に思うのはもう遅い。だからそうなる前に何ができるか、その時は考えられなかったけれど、今、落ち着いて考えると、その備えこそが全てだと思いますね」
心を無にして続けたという遺体の搬送。しかし、どうしても心を揺さぶられた瞬間がありました。
後藤聡さん
「同じ消防士の仲間が亡くなられていて。どういう活動をして逃げ切れなかったか想像つくわけですよね。何ができるのか考えさせられた。訴えられましたよね、考えろと」
当時、後藤さんは県消防協会の仕事もしていて県内全ての災害対策本部を回りました。
後藤聡さん
「規模は数で示されると思うけれど、命に大小はないと思っていて、だから規模というより一人一人の人生背景をいろいろな災害現場を見てきて考えてしまう。イメージが湧いてくる感覚でした」
多くの死を目の当たりにした二度の大災害。逃げたくても逃げられなかった人々。助けたくても救えなかった命。辛い現実と向き合った後藤さんが思うこととは…。
後藤聡さん
「消防士をして、いろいろな災害現場を見て、命と向き合ったことによって、生かされている命に何か恩返ししたい。筋力・体力がないと逃げられない。さらに言うと、共助、周りも助けられない。その連鎖がつながって初めて公助、皆で助け合えている状態。体づくりは健康づくりだけでなく、究極の防災ではないか」
「体づくりは、究極の防災」
消防士として感じた課題を胸に後藤さんは、これからも防災に向き合い続けます。