36人が犠牲となった京都アニメーション放火殺人事件から、7月18日で6年となり、現場では追悼式が営まれました。
今も変わらぬ悲しみを抱えながら、遺族は事件と向き合っています。
■事件から6年 スタジオ跡地で行われた追悼式
7月18日、京都アニメーション第一スタジオの跡地で行われた追悼式。
スタッフや遺族など153人が参列し、従業員が今の思いを述べました。
【従業員の言葉】「6年たった今でも、どこか寂しさを感じています。もっと、みんなと語り合い、笑い合い、切磋琢磨し合い、作品をつくり続けたかった。心の靄(もや)がかかったまま、何とか前にという気持ちで、一日一日を積み重ねています」
去年、宇治市に建てられた事件を後世に伝える碑には、事件で妻を亡くした男性が訪れました。
【妻を亡くした男性】「これからは7回忌。周りの人が区切りをつけていくのであれば、僕はこれからは覚えといてあげないと。忘れないように」
■青葉死刑囚は控訴取り下げも弁護人が無効を申し入れ 高裁が検討
6年前の7月18日、京都アニメーションの第一スタジオが放火され、36人が死亡、32人が重軽傷を負いました。
死刑判決を受けた青葉真司死刑囚(47)は、判決を不服として控訴。しかしその後、控訴を取り下げ、死刑が確定しましたが、弁護人が取り下げを無効とするよう申し入れ、大阪高裁で検討されています。
■「感情と理性のバランス難しい」と遺族
【渡辺美希子さんの兄・勇さん(46)】「感情的には、色んなものが複雑に絡み合っている感覚はありますね。一言ではなかなかこうだという正解はないですね」
青葉死刑囚についてこう話すのは、事件で命を奪われた渡辺美希子さん(当時35歳)の兄・勇さんと、母・達子さんです。
達子さんの自宅には、京アニ作品を支えた美希子さんの絵や作品が数多く飾られています。
【渡辺美希子さんの母・達子さん(75)】「今でもやっぱりあの人がいないと言いたくもないし、認めたくないんだけど、感情と理性のバランスを取るのが、なかなかに至難の業みたいなところがある」
■「同じ事件を1%でも減らしたい」 つらい経験を語る理由
2人は4年ほど前から、警察官や被害者支援に携わる人たちなどの前で、講演を実施してきました。
つらい経験を講演会で語るのには理由がありました。
【渡辺美希子さんの兄・勇さん(46)】「一番は、ああいう事件が起こる可能性を1%でも減らしたい。そのために、(事件を)知ったり、考えるきっかけみたいなものがあったら、1%でも減るかもしれない。願いとしてはあります」
■「話する相手いいひん」事件で一変した遺族の暮らし
娘への変わらぬ思いを抱き、事件と向き合い続ける遺族もいます。
【石田奈央美さんの母】「『ことしの夏は暑いで~』ってしゃべってんねん。暑がりやったから、いつも汗だくで帰ってきたもん」
石田奈央美さん(当時49歳)。京都アニメーションで“色彩設計”の担当として、様々な作品に携わりました。
奈央美さんは父と母と3人暮らし。あの日もいつもと同じように家を出ました。
【奈央美さんの母】「いままで何十年とお弁当をつくってきたのに、いっぺんに(事件の)18日最後で、朝起きても何も作らなくてもいいし。私ら2人だけの食事ですやろ。さみしいですやっぱり」
【奈央美さんの父】「うちの宝。大黒柱。私らを支えてくれた、大事な、大事な命でした」
犯行の動機を知りたいと「裁判に参加する」と話していた2人。
しかし、奈央美さんの父は体調を崩し、初公判の1カ月前にこの世を去りました。
事件から6年で、母の生活は一変しました。
【石田奈央美さんの母】「『もう6年や』って思いますわ。長いっていうより、もう6年経ったんや。こんな出来事あったって、誰も話する相手いいひんわって。しゃべるといいひんからな」
今は、更地となったスタジオ跡地。
母は「ここで娘が働いていたことを慰霊碑に残してほしい」、そう思っています。
【石田奈央美さんの母】「やっぱりここで犠牲になったんやから、(慰霊碑に)名前刻んでほしい。『アニメーションになくてはならない人を亡くした』って、(京アニの人が)言ってくれたからうれしかった。仕事よう頑張ったな、立派やったと私は思います」
事件から6年。遺族は今も癒えない思いを抱え、この日を迎えています。
(関西テレビ「newsランナー」2025年7月18日放送)