岩手県雫石町にある山「七ツ森」は七つの小さな山が連なり、稜線が美しく岩手ならではの光景だ。

長年にわたり県内各地の地名について調査している奥州市出身の宍戸敦さんは「七つのポコポコとしたかわいい山があって『七ツ森』という由来になっている。岩手の場合、森は“山を意味する”場合がある。七つの山があるのが『七ツ森』という地名の由来になる」と説明する。

生森(おおもり)・石倉森(いしくらもり)・稗糠森(ひえぬかもり)・鉢森(はちもり)・勘十郎森(かんじゅうろうもり)・三角森(みかどもり)・見立森(みてのもり)、この七つの山が「七ツ森」の由来とされている。

この地域は、宮沢賢治の作品と関わりがあることなどから「イーハトーブの風景地」として国の名勝指定を受けた。

「七ツ森」は、宮沢賢治の「春と修羅」の「屈折率」という作品に登場している。
その作品の中で『七つ森のこっちのひとつが水の中よりもっと明るく、そしてたいへん巨きいのに』と続く詩がある。
賢治の目には、光の屈折によって「七ツ森」の山の一つが大きく、そして明るく見えたのではないか。

七ツ森を少し北に行くと「小岩井農場」がある。小岩井農場も宮沢賢治とゆかりがある場所と言われている。

「小岩井農場」の名前の由来について、小岩井農場資料館館長の野沢裕美さんによると、「小岩井農場の創業者が3人(小野義眞・岩崎彌之助・井上勝)いる。この創業者である小野・岩崎・井上の三人の頭文字を一文字ずつとって、『小岩井』と名付けた」という。

小岩井農場資料館 館長 野沢裕美さん  
「一番貢献度が高いのが井上勝氏で、当時、鉄道庁の長官をしており、東北本線を作るため岩手を訪れた際、この土地を見て農場を作りたいと思い立った(小岩井農場の)初代のオーナーです。井上氏が農場を作ろうと思って出資者を探していたが、小野義信氏から紹介されたのが岩崎彌之助氏だった」

このように「小岩井農場」は地名ではないが、それと似たような名付け方をした地名が岩手県に存在する。

宍戸敦さん
「明治の大合併で新しい村や町の名前が出来るときに、旧村の名前を一文字ずつ取って、それを村の名前とするのも良いとされた。奥州市水沢の『佐倉河』が(典型例として)ある」

「佐倉河」という地名は「宇佐村」「満倉村」「下河原村」のそれぞれから一文字ずつ取って名付けられた「佐倉河村」に由来している。

同じように、三人の名前を掲げて始まった「小岩井農場」は、どのような歴史を歩んできたのか。

小岩井農場資料館 館長 野沢裕美さん
「昔の写真を見てもらえばわかるが木が全然ない。もともとこの地は荒れ地で作物を育てるのに適さない土地だった。結局、農産物の生産が難しいことから、家畜の飼育へと方針を切り替えた」

創意工夫を重ねて事業を拡大してきた小岩井農場について、宮沢賢治は作品を残している。

小岩井農場資料館 館長 野沢裕美さん
「宮沢賢治は作品を多く残されているが『小岩井農場』には『宮沢賢治が来た』という記録は残されていない。賢治が『小岩井農場』を作品に書いたことで、来たことが分かっている」

宮沢賢治が訪れたとされる「七ツ森」と「小岩井農場」。その風景は、いまも静かに息づいている。

岩手めんこいテレビ
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