地元の人たちに愛されていた北海道・旭川市のレストランが2024年9月、火事で全焼した。約10か月ぶりに営業を再開するまでの日々を追った。
「レギュラー1のミニが3、ミニだけコーンが1個。あと全部カップです」(スタッフ)
「わからん」(矢野竜二郎さん)
次々と注文が入り、ソフトクリームを作るのに追われていた。

火事で全焼し店は一瞬にして灰に―
北海道・旭川市で1995年に開業したレストラン「エスペリオ」。特注の窯でピザを焼くのは代表の矢野竜二郎さんだ。
しかし、店は一瞬にして無くなった。

2024年9月。火は1時間30分後に消し止められたが、店の内部が全焼した。
厨房付近でガス漏れがあったとみられている。火が出たのは店を開ける前で、けが人はいなかった。
ピザを焼き続けた窯は真っ黒になっていた。

「石窯と看板が残っている。この2つを復活の象徴にできるようにやっていけたら」(エスペリオ 矢野竜二郎さん)

店の再開を心待ちにする人も
店の再開を心待ちにする人は少なくない。
太島篤子さんはエスペリオが創業した30年前からの常連客だ。

「(火事の)ニュース見た日は一日すごく悲しい思いでした」(太島篤子さん)
太島さんは10年近くエスペリオの料理を撮影していた。

お気に入りは道産牛肉100%のハンバーグと―。
「ごろんごろんとした大きい野菜。食べてみたらすごくおいしい。早く食べたい。(エスペリオは)ホッとさせてくれる場所。なくてはならない場所です」(太島さん)

レストラン再開に向けて―
火事から1か月、建物を解体。
ピザ窯は傷つかないよう、作業員が守っていた。
復活のもう一つの象徴はほぼ無傷で残っていた。

「これだけ残ってるっていうのはなんかメッセージを感じますもんね。『もう1回、もう1回、頑張れよ』って言ってるようなそんな感じしますよね」(矢野さん)
2025年4月、骨組みが完成し、上棟式が行われた。

建設費用の一部はクラウドファンディングで募った。全国から900人以上の支援があり、約1500万円が集まった。
ピザ窯は黒く焼けた跡が残ったが、以前と同じ場所で火が入るのを待っている。

焼け残った看板とピザ窯は「復活の象徴」
2025年6月、工事は終盤に入った。店の入口に「復活の象徴」を取り付ける。
「もうちょい左かもしれないです。左。ちょっといきすぎた。そんなもんです。いいと思います。素晴らしい」

「スタッフみんなでも話している。地域の人に必要とされる、そういう店でないといけないよねって」
「緊張しますね。火つけるだけなんだけど。いいですか、いきますね」(いずれも矢野さん)
もう一つの「復活の象徴」に2024年9月以来初めて火が入った。

ピザをおいしく焼くために、窯の中に残る水分を飛ばす。
「また元気においしいピザを焼いてくれるんじゃないかなと思います」(矢野さん)

レストラン再開に向け追い込み
オープンまで2週間を切った。
この日はメニューの写真を撮るため、実際に料理をする。

店で一番の人気料理が出来上がったが―。
「これは寂しすぎるわ。もう一枚焼こう。焼き直そう」(矢野さん)

ハンバーグの焼き上がりは問題なし。矢野さんが気にしたのは付け合わせのニンジンの大きさだった。
「カットが小さかった。付け合わせの野菜を楽しみにしてくれている方も結構いらっしゃるので」(矢野さん)

エスペリオ「復活」の日
「お待たせいたしました。どうぞ」(矢野さん)
2025年7月2日、エスペリオは「復活」の日を迎えた。
もちろんこの人の姿も。

「これ完璧に前の味。すごくおいしい。ここに来たら大きいニンジンを食べたい。よそに行ったら食べられない」(太島さん)
「奇跡を信じてこの場所で再開を心待ちしていた。今までで一番おいしく感じました」(常連客)

店を開けてから矢野さんはずっと立ちっぱなしだ。
初日の客の入りは想像をはるかに超えて約450人。閉店の30分前でもほぼ満席の状態が続いた。

「予想以上にお客様に入っていただいたので、うれしい悲鳴です」(矢野さん)

「エスペリオ」には「希望の里」という意味が
最後の客は外国からの観光客だった。
「ここのシェフ?あなたが料理?」(客)
「おいしい」(客)

「あれから10か月ですもんね。早いですよね。皆さん、お待たせしましたっていう、そういう気持ちですね」(矢野さん)
灰の中から蘇った「エスペリオ」。「希望の里」という意味が店の名前には込められている。
