仙台空襲から80年が経ち、体験した人が少なくなっているなか、12歳の時に仙台空襲に遭った人が今も鮮明な当時の記憶を語りました。
仙台空襲の記憶、そして、その記憶を伝承しようという高校生たちの取り組みです。
仙台市青葉区に住む広瀬喜美子さん、92歳。
宮城女学校・現在の宮城学院の英文科を卒業し、長年、通訳の仕事をしていました。
今でも英語の勉強を続けています。
広瀬喜美子さん
「どこに行っても英語は通じるでしょ。だからさ、そんなこんな楽しいことないね。」
広瀬さんは1933年生まれ。日本が太平洋戦争に突入した時は小学3年生、8歳でした。
現在の青葉区大手町にあった自宅の庭には、父親が造った防空壕があったそうです。
広瀬喜美子さん
「レンガがね、いっぱい転がってたの、川の岸にね。で、うちの父はね、そのレンガを拾ってきて、レンガを防空壕の壁にして。5人入ったら、ギリギリいっぱいじゃない?」
そして80年前、1945年7月10日未明、広瀬さんが12歳の時に「仙台空襲」は起きました。
アメリカ軍の爆撃機B29、123機が来襲し、およそ1万3000発の焼夷弾を投下。
中心市街地の3割近く500万平方メートルが焼失し、およそ1400人が亡くなりました。
広瀬さんは当時のことを今でも鮮明に覚えています。
広瀬喜美子さん
「ザーって音がするんですよ。焼夷弾が落ちてくるのは。夕立みたいな音がするの。ザーっていって」
空襲警報が鳴り、両親と3人で自宅の防空壕に避難しようとしましたが、防空壕には近所の人が逃げ込んでいたそうです。
広瀬喜美子さん
「表通りにいる人たちがみんな、川の方へ逃げてくるわけですよ。そうすると、門なんかも破って、うちの防空壕にみんな入ったから、父と母と私とは入りようないの、もういっぱいで」
広瀬さんたち家族は仕方なく自宅にあった桜の木の下に避難。
その時、異様な光景を目にしました。
広瀬喜美子さん
「仙台全体が空を見たらこうやって火の粉が渦巻いていたんですよね。真っ赤でしたね」
夜が明けて、空襲で焼け落ちた街、亡くなった人々の姿は今も心に焼きついています。
広瀬喜美子さん
「町の真ん中は全部焼けた。一番町、国分町、それから市役所のあたり。防空壕から亡くなった人たちがお人形さんみたいになって引き出すのを私、見たりなんかしたからね。ああいう思いだけはしたくない。本当に」
広瀬さんの記憶を後世に残そうとする高校生たちがいます。仙台工業高校模型・動画部です。
戦争を体験した人の証言をもとに模型を作り、それをコマ撮りしてアニメーション動画を作っています。
当時の記憶を映像として残そうと、10年前に始めました。
仙台工業高校 下村由夏教諭
「仙台空襲の写真がほとんど残ってないんですね。それで、やっぱり見たものを残してあげたいっていう思いがあって」
今年は広瀬さんの証言をもとに制作に取り組んでいます。
広瀬さんから話を聞き、当時自宅のあった場所なども一緒に訪ねました。
自宅の庭にあった防空壕も、拾ってきたレンガで作ったという壁を忠実に再現しています。
防空壕の模型を担当した田嶋翔太さん(高3)
「レンガの部分も紙粘土ですね。階段も竹串なんかを使って作りました」
広瀬さんが見たという渦を巻く火の粉の再現も、工夫を凝らしました。
渦を巻く火の粉を担当した鈴木悠雅部長(高3)
「実際の炎のようにオレンジとか赤、白でグラデーションを付けたり、ここはこの色になるのかならないのかというところが一番難しいかな」
この模型を背景にセットし、少しずつ動かしながら写真を撮って、動画にしていきます。
B29のコマ撮りを担当した庄司勇斗副部長(高3)
「60枚の写真なら長くて12、13秒の映像ですかね」
編集を行う部員もより伝わる作品を作ろうと知恵を絞ります。
映像の編集を担当する駒井結夢さん(高2)
「ただテロップを打つだけではなく、後ろに四角の枠を入れて字幕を見やすくしたりとか。映像を見た人には、こういうことがあったということを受け止めて、忘れないで伝えていってほしい」
広瀬さんが模型部を訪れました。
部員たちは模型について記憶と違っていないか助言を求めます。
生徒
「火の柱の大きさはこれより大きかったですか?小さかったですか?」
広瀬喜美子さん
「もっと大きいと思うな」
戦争を体験した本人にしか語れない貴重な記憶。部員たちは次々に質問し真剣に耳を傾けます。
話を聞いて、修正点が見つかったようです。
B29のコマ撮りを担当した庄司勇斗副部長(高3)
「夕立の音のように聞こえるくらいのザーというとてつもない焼夷弾の量というのを聞いて、もっと焼夷弾の模型の数を増やしていいんじゃないかと思いました」
模型には、まだ改善の余地も残されていますが、広瀬さんは、自分の記憶を高校生が伝承する姿に感銘を受けたようです。
広瀬喜美子さん
「本当によくできていると思いました。経験もしていないのに想像の中からあのように作っているのは、感心しました。私みたいな戦争経験者はいつかは死んでしまう。今の若い人たちがそれを語り継いでくれるというのは、本当にいいことだと思う。とても素晴らしいことだと思う」
戦後80年、同じことが二度と繰り返されないよう、高校生たちが記憶をつないでいます。