モンゴルを訪れている天皇皇后両陛下は8日、戦後、旧ソビエトによって抑留され強制労働に従事して亡くなった日本人を偲ぶために建てられた慰霊碑を初めて訪問されます。
厳しい環境で労働を強いられた経験を持つ南砺市の107歳の男性は、「兵士がひどい目にあったことを知っていただきたい」と話し、平和への思いを強くしています。
モンゴルを公式訪問されている天皇皇后両陛下。
戦後80年にあたり、終戦後、連行され死亡した日本人抑留者を追悼するため、8日、首都ウランバートル郊外の慰霊碑を訪問されます。
天皇皇后両陛下の慰霊訪問を歓迎する男性が富山にいます。
南砺市井波に住む、全国強制抑留者協会の山田秀三会長です。
*全国強制抑留者協会 山田秀三会長(107)
「兵隊がとにかく酷い目にあったことを天皇陛下に知っていただきたい。モンゴルそのものが食料もないし水道があるわけではない。そういうところで亡くなった抑留者がいるということを。ご苦労だったなと。こんな所へ来て、若いときに死んだのかと」
現在107歳の山田会長は、敗戦後、27歳の時、抑留され、公共施設の建設のため、氷で鉄板のように固くなった地面の掘削作業に従事しました。
*全国強制抑留者協会 山田秀三会長(107)
「何にも建っていない。2メートルほどの棒を持って、地下は1メートルほど凍っていた。全然掘れない。そういうところに立たされて」
氷点下を下回る厳しい寒さに栄養失調が重なり、モンゴルでは、およそ2000人が命を落としたと見られています。
*義理の娘 由理枝さん(71)
「これがモンゴルに行った時の写真」
山田会長は、日本への引き揚げ後、2度モンゴルに足を運び、2008年には、日本人抑留者の慰霊碑を訪れていました。
*義理の娘 由理枝さん(71)
「これは慰霊碑に行ったときに感極まって泣いたときの写真。おじいちゃんと一緒に暮らして45年。号泣されたのはこの時が初めてだった。思い出されて。亡くなった人のことを」
時間がたっても忘れることのできない、想像を絶する、異国での抑留の記憶。
山田会長は、生涯、全国強制抑留者協会の会長を務め、非戦への思いを伝え続けるつもりです。
*全国強制抑留者協会 山田秀三会長(107)
「戦車をつくって喜んでいる。物を壊すとか無人機で人を殺したり、そういうことをせずに平和な方に金を使うようにしてもらいたい」
「戦後80年―つなぐ―」。戦争を体験した人、それを受け継ぐ人、そうした方々の声を伝え続けていきます。