「政治屋(politician)は次の選挙(election)を考えるが、政治家(statesman)は次の世代(generation)のことを考える」
「election」と「generation」の韻を踏んだ格言で、19世紀の米国の神学者ジェームズ・フリーマン・クラークの言葉として知られる。
当時の米国は、南北戦争で社会が分断され、奴隷を解放廃止も政治的打算を優先する政治家たちの妥協で黒人の権利も切り捨てられる中、改革派のクラークが政治家の道徳的指導性を求めて口にしたものだと言われる。
以来、道徳的信念より政治的打算を優先する政治家(屋)は後を経たないわけだが、ここへきて「次の世代」のために「次の選挙」を犠牲にする政治家が米国に現れた。
法案に反対の共和党議員が引退表明
米国では1日、議会上院でトランプ大統領が「大きく、美しい法案」と名付けた減税・歳出削減法案の採決が行われ、賛成50票、反対50票の同数になったが、こうした場合に採決に介入できる上院議長でもあるバンス副大統領が賛成票を投じ、同法案は辛くも上院を通過した。

この法案は、トランプ大統領が2024年秋の大統領選挙で約束した連邦税の大幅な引き下げの一方で、その財源確保のためメディケイド(低所得者向け公的医療保険」など福祉関連予算を縮小するというもので、当初、与党・共和党の議員からも反対の声が上がった。
米国の議会では、法案の採決に「党議拘束」がかけられることがほとんどないので、共和党幹部が「造反者」つぶしに追われ、例えばアラスカ州選出のリーサ・マーカウスキー議員には「捕鯨船長の特別減税」など、アラスカ州に恩恵を及ぼす措置を法案に盛り込むことで翻意させた。(ワシントン・ポスト紙)
それでも3人の「造反者」が残ったわけだが、その1人でノースカロライナ州選出のトム・ティリス上院議員の場合は、トランプ大統領自身が「法案を支持しなければ、来年11月の同議員の再選選挙では対抗馬を後援する」と「脅し」(NBCニュースの表現)をかけていた。

「ティリス 『上院議員』の対抗馬として予備選に出馬したいとの声が多数寄せられている。私は今後数週間、彼らと面会し、ノースカロライナ州の偉大な人々、そして非常に重要なことですが、アメリカ合衆国を適切に代表する人物を探します。ご清聴ありがとう!」(トランプ大統領のSNS「トゥルース・ソーシャル」への投稿29日)
ノースカロライナ州は激戦区として知られ、前回2020年にティリス議員が当選した時も民主党の対抗馬との差は1.75%に過ぎず、もしトランプ大統領や共和党の組織的な支援がなければ勝機はないと考えられた。しかしティリス議員は「次の選挙」を考えず所信を貫くと、6月29日に次のような声明を発表して、再戦選挙には出馬せず引退すると表明した。

「(前略)ワシントンではここ数年、超党派、妥協、独立した考えを重視する指導者が絶滅危惧種になってしまいました。(中略)人々は反対陣営に独立した考えを表明する人物が現れると称賛します。しかし、自分たちの側からそれが出ると、非難し、仲間外れにし、さらには処分までしてしまうのです。(中略)次の6年間を、ワシントンの政治劇場と党派的対立の中で過ごすのか、それとも人生の伴侶のスーザン、2人の子ども、3人のかわいい孫たち、そして故郷にいる拡大家族と共に過ごすのか、その選択は難しくありません。私は再選を目指さないことを決断しました」
2026年上院選挙で共和党の優位崩れる?
ティリス議員の勇気ある決断にもかかわらず「大きな、美しい法案」は上院を通過して、下院で再度可決されれば成立する。下院は与党共和党が12議席の優位を保っているので成立の可能性が高いとされるが、それは必ずしもトランプ大統領の勝利にはならないと言われ始めた。
「トランプ、2026年の上院選挙を危うくする。トム・ティリスを引退に追い込むことで、自らの大統領を危険にさらす」

保守派の代表紙「ウォールストリート・ジャーナル」は6月29日、表記のような社説を掲載した。ティリス議員が引退することで、ノースカロライナ州に民主党の上院議員が誕生する可能性が出てきたと社説は分析する。加えて、メーン州やアイオワ州、テキサス州などでも接戦が予想され、現在53対47の共和党の優位が崩れるかもしれない。さらに民主党が下院を奪還すれば、共和党の立法改革は完全に封じ込まれると指摘する。
「そうなれば、トランプ政権は水上で立ち往生した船(dead in the water)のようになる」と社説は警告する。
トランプ大統領こそ「次の選挙」のことを考えなければならないようだ。
(執筆:ジャーナリスト 木村太郎)