6月23日は沖縄戦終結から80年の慰霊の日、福岡出身者も4000人以上が亡くなったとされています。

太平洋戦争末期の1945年4月、アメリカ軍の攻撃によって始まった沖縄戦は一般住民を巻き込んだ沖縄本土での戦闘によって、住民と日本兵あわせて20万人以上が犠牲になりました。

福岡から召集された軍関係者も4000人以上が亡くなったとされています。

招集された1人が福岡県柳川市の農家で育った新谷正人さん。

当時24歳でした。

◆正人さんの甥 新谷一廣さん(70)
「召集令状『赤紙』が届いたのはちょうど今くらいの時期で、(正人は)田植えの真っ最中で、赤紙を持って来た人が『おめでとうございます』と。田植えの真っ最中に田んぼの中で『これで男になれた』と万歳をしたっていう。私の母もその頃19歳ぐらいだったんで、(正人さんと)一緒に田植えしていたということで、母からよく聞かされていました」

一廣さんの母で、正人さんの4歳下の妹・徳江さんは…。

◆正人さんの妹 新谷徳江さん(99)
「優しい兄でした。すぐお小遣いをくれてね。酒屋に仕事に行っていて、稼いだお金を私にくれていた。『いつ帰ってくるんだろう』と」

しかし、正人さんの帰還は叶わず、その死から60年以上がたった2006年に、思わぬものが沖縄で発見されました。

◆新谷一廣さん
「歯ブラシです。戦前の軍隊用の歯ブラシなんでしょうね。毛はもう無くなっていますけど」

日本軍の壕があった場所で発掘された1本の歯ブラシ。

柄の部分をよく見ると「新谷正人」の名前が彫り込まれています。

◆新谷一廣さん
「(自分の名前を)彫っているというのはすごいことだなと。『新谷正人』という自分の名を削った時の思いというのをなんか感じますよね」

見つかった遺品の数は約5000点。

その中で持ち主が特定できたのは正人さんの歯ブラシ、ただ1つだけでした。

◆新谷一廣さん
「正人の『執念』『思い』というか、私に託したことがあるのではないか。平和でなければいろんな意味での喜びというは感じられないと思うので、だから今こそ私たちも沖縄にも足を運ぶし、沖縄の人たちとも会話をしながら平和について語り合う必要があると思っています」

戦地で見つかった1本の歯ブラシ。

80年前、1人の男性が確かに生きていたこと、そして戦争の不条理さを私たちに語りかけているようです。

テレビ西日本
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