1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ。
以前も訪れたことがある大阪市の北加賀屋。1970年代まで造船業でにぎわい、造船所がなくなると寂れていきましたが、近年はアートの街として注目されている街です。
そんな北加賀屋で探索するのは、1993年(平成5年)に撮影された路面電車の写真。
何台も並んでいて、珍しい2階建ての車両も見えます。
■昔の路面電車をイベント展示したときの写真だと判明
かつて大阪では市内を中心に多くの路面電車が走っていました。昔の路線図を見ると、北加賀屋と堺の大浜を結ぶ路線もあったことが分かります。でも大阪市電は1969年に廃止されたので、写真が撮られたときには走っていなかったはずです。
街の皆さん、市電の記憶はあるけれど、2階建ての車両は見たことがないとのこと。
それからOsaka Metroの車両工場で毎年行われるイベントの写真ではないかという情報がありました。大阪市電を運営していた大阪市交通局は、現在のOsaka Metroの前身です。
教えてもらった緑木車両工場では、交通事業本部の佐々木通さんが案内してくれて、保存している市電を展示するイベントのときの写真で間違いないということでした。
普段は見られない地下鉄の車両工場も特別に見学させてもらいました。
ここでは御堂筋線・谷町線・四つ橋線・中央線・千日前線の車両を整備していて、地下鉄の車両は5年に1度車輪を外して検査するそうです。
地下鉄が最初に開通したときの車両も残っていて、動かそうと整備中なのですが、部品がなくて苦戦しているそうです。
昭和8年ごろ、車両を地下まで運んだ当時の映像が残っています。現在のような大型重機もなかったため、牛も使って運んでいました。大変な苦労のすえに、大阪と心斎橋を結ぶ最初の路線が開通しました。
■「2階付き電車」は「珍しいもの」を求める“大阪らしい”車両
市電が最初(1903年・明治36年)に開通したのは築港線という、九条から天保山へ向かう路線でした。そこを走っていた2階付きの電車は、釣りに行く人が多く利用したことから「魚釣り(うおつり)電車」の愛称がつきました。また「観月電車」「納涼電車」とも呼ばれ、交通手段であるだけではなく、観光の役割もあったのだろうということです。
当時の2階付き電車は残っていませんが、復元したレプリカや模型でその姿を見ることができます。当時の人が珍しいものを求めて、こんな電車を作ったのではないかと佐々木さんは言います。
背が高いため運転が難しかったことや、周囲の家の中がのぞかれるという苦情もあり、活躍期間は短かったそうです。
大阪の近代化を支えてきた市電でしたが、地下鉄や自家用車に徐々に地位を奪われ、1969年(昭和44年)に役目を終えました。
毎年秋にはイベントが開かれ、昔の市電の車両も公開されます。日程や詳しい情報はホームページで告知されるということです。
【兵動大樹さん】「年に1度秋にイベントがあります。保存されている車両を見ることができたり、楽しいことがたくさんあります。気になる方はぜひホームページでチェックして、訪れてはいかがでしょうか」
▼大東さんの“発見”の全ては、動画でじっくりお楽しみください。
https://youtu.be/LAS2POo7e0w
(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2025年6月13日金曜日放送)