特集は地元で愛されてきたラーメン店の最後です。長野県伊那市で30年余り愛されてきた店が物価高の影響などで閉めることになり、5月24日の営業最終日は、多くのファンが別れを惜しみました。
湯気が立ち上るラーメンや油そば。チャーシューや野菜を盛り付ければ完成です。
客:
「おいしいです、最高です」
多くの客でにぎう店もこの日が最後。5月24日、JR伊那市駅近くにある「らーめん屋 原点」は長い行列ができていました。
東京から:
「ずっと行きたかったんですけど、きょう閉店するというので、行こうぜという感じで」
別れを惜しむ多くのファンが足を運んでいたのです。
東京から:
「油そばもう一回食べたくて来ました。良かったです、おいしいです」
伊那市内から:
「最後、来られないかと思ったんですけど、来られて良かったです」
「原点」のオープンは1993年。酒井孝志さんと妻・なみよさんが始めました。
看板メニューの「原点ラーメン」や「油そば」は、極太麺にたっぷりの野菜が特徴です。夫婦の人柄もあり、多くの人に愛される店となったのです。
しかし、2024年5月に孝志さんが亡くなり、なみよさんも体調を崩して店に出ることができなくなりました。
店を引き継いだのは、高校時代からアルバイトに来ていた河内祐貴さん(27)です。
らーめん屋 原点・河内祐貴さん(5月2日):
「急に閉めると、お客さんもそうだし、僕もこの店は好きなので、それが寂しいかなと思い、できるだけ長くできるようにと思い引き継いだ感じ」
河内さんは、店への思いを胸に厨房に立ち、奮闘してきましたが。
らーめん屋 原点・河内祐貴さん:
「1人になるタイミングから考えてはいたんですけど、(食材の)原価が高いのと、ガスとかもそうですし、いろいろなタイミングが合い、今回やめるということにしました」
コロナ禍で減った客が戻り切らないところに物価高などが追い打ちをかけ、店を閉じることに。
らーめん屋 原点・河内祐貴さん
「(酒井さんを)一番近くで見ていたのは僕なので、あのままの味、あのままに近い味を最後に皆さんに食べていただけたらなと思います」
迎えた営業最終日。開店前から多くの客が訪れていました。
午前11時半に開店。
店は満席に。開店直後から厨房は大忙しです。
店員:
「お待たせしました、油そば2つです」
伊那市内から:
「懐かしかったですね、おいしかったです。思い出の一つがなくなるのは悲しい」
東京から:
「きょうが最終日だったので、これを食べるために朝一でバスに乗ってきました。(よく訪れた)高校の時を思い出す感じ」
長年、親しんだ味がなくなることに、思いはさまざまです。
20年来の常連客・牛山久司さん(50):
「亡くなられた先代のころからずっと来ていたので、本当に寂しいですけど食べたいなという気持ちで、家族にも行っておいでと言われたので来ました」
伊那市の牛山久司さん(50)。20年ほど前から「原点」のラーメンを堪能してきました。最後に注文したのは、みそ味です。
20年来の常連客・牛山さん:
「とてもおいしかったです。(閉店は)寂しいです。思い出の味で、もう食べられないと思うと感極まります」
20年来の常連客・牛山さん:
「ごちそうさま。また頑張ってください」
河内さん:
「ありがとうございます」
松沢界斗さん:
「うまい!」
こちらも市内から訪れた松沢さん一家。
伊那市内から・松沢未礼さん(27):
「きょうは母と友達です」
友人も一緒に3世代で訪れました。
伊那市内から・松沢未礼さん(27):
「旦那と初めて会ったのも、ここだったんですよ(笑)。だよね?学生の頃に」
夫・界斗さん(27):
「結婚してからの方が来るようになりました。(娘たちに)一番食べてほしいラーメン屋です。(開店前の)10時から並んでよかったです」
それぞれの思い出とともにあった懐かしの味。店を閉める午後2時を過ぎても客足は途絶えず、150人分用意していた麺はついに売り切れ。
最後の客を迎えたのは午後3時半でした。
らーめん屋 原点・河内祐貴さん:
「半分疲れと、ちょっと寂しさが出てきたかなという感覚はありましたけど昔、来たお客さんたちが『ありがとう』や『お疲れさま』と言ってくれたので、充実した店の最後になったかなとは思いました」
店を畳んでも、その味の記憶は人々の胸に残ります。