42年前の5月26日に発生した日本海中部地震。あの日、秋田県男鹿市の海岸に遠足で来ていた旧合川町(現北秋田市)の児童13人が津波で命を落としました。現場の近くでは26日、慰霊祭が行われ、遺族が鎮魂の祈りを捧げました。
男鹿市戸賀の加茂青砂海岸では、42年前の5月26日、遠足で訪れていた合川南小学校の児童13人が津波の犠牲となりました。
26日は遺族や地元関係者など約50人が集まり、海岸近くに建てられた慰霊碑の前で静かに手を合わせました。
このあと、遺族たちは海岸で子どもたちのために手作りした弁当を広げていました。
福岡史恵さん(75)は、当時4年生だった長女の有希子さん(当時9)を津波で亡くしました。あの日弁当に入れてあげた手作りのたまごサンドと有希子さんが好きだったジュースなどを用意して、毎年この場所を訪れています。
福岡さんは「娘が待っていると思うと、頑張って来ないと。私が行かなければ、親が行かなければ、子どもがかわいそうだと思うので、健康なうちは足を運びたい」と涙ながらに話しました。
あの日の悲しみは、いまなお変わることはありません。