4月、仙台管区気象台の台長に鎌谷紀子さんが就任しました。さまざまなキャリアを積み、宮城県にも縁のある方です。
仙台市宮城野区にある仙台管区気象台。東北地方の気象業務の中枢を担う気象台です。4月、仙台管区気象台長に就任した、鎌谷紀子さん。仙台管区気象台で女性の台長は初めてです。
2024年1月の能登半島地震の発生直後、気象庁で地震に関する記者会見を行った鎌谷さん。福井県出身で、気象庁に入る前は東北大学で地学を専攻。仙台は、大学院時代も合わせ、9年間の学生生活を送った、思い出の地です。
鎌谷紀子 仙台管区気象台長
「まさか台長として戻って来られるとは思っていませんでした。なので、大好きな仙台と宮城・東北に貢献したいという気持ちでいます」
幼い頃から、地球科学が大好きだったという鎌谷さん。大学院の博士課程を修了し、研究者の道へ進む選択肢もありましたが….
鎌谷紀子 仙台管区気象台長
「やっていくうちに、もう少し社会とつながりがあることがしたいなと思うようになりまして、だとしたら、地球科学の専門を生かして、社会に情報を発信して、人々の命を守るという気象庁というところに、可能だったら入りたいなと思うようになったということです」
気象庁では、一貫して地震の分野で仕事をしてきたという鎌谷さんですが、そのキャリアは実に多彩です。アメリカで地震分析官として活動したり、外務省へ派遣され、オーストリアのウィーンで外交官として働いていた時期もありました。
鎌谷紀子 仙台管区気象台長
「世界で核実験をやめようという包括的核実験禁止条約というのがあるんですが、それをちゃんと機能させるための組織というのがウィーンにあるんですね。その日本側の窓口というのを、私がやっていました。というのは、気象庁の日本の観測点から地震のデータをその機構に送っているという縁がありましたので、私が派遣されたということになります」
そして、地震の仕事に携わる中で忘れられないのが、東日本大震災です。学生時代を過ごした宮城・仙台の地が巨大地震に襲われたことに、大きな衝撃を受けたといいます。
鎌谷紀子 仙台管区気象台長
「大津波警報が出た時点で、大変なことが起こったというふうには思っていました。翌日、たくさんの犠牲者の方が出ているということを知って、とてもショックを受けました」
当時鎌谷さんは気象大学校で講師を務めていました。
鎌谷紀子 仙台管区気象台長
「学生が私の部屋に来て、教室に学生みんな集まっているから解説をしてくれと。何が起こっているのか知りたいということを言ってきましたので、その教室に行って、自分の分かっていることを解説したという、そういうことをしていました」
自然のすさまじさを実感し、二度と多くの犠牲者を出すことのないよう、力を尽くしていきたいと誓った鎌谷さん。2022年、気象庁の地震津波監視課長に就任します。
鎌谷紀子 仙台管区気象台長
「津波の警報とか注意報を発表する時の最終判断をするという責務を負った課長ということになります」
そしてもう一つ、課長の重要な仕事が、地震発生時の記者会見です。能登半島地震でも混乱の中、冷静な口調で注意を呼びかけました。
2024年1月2日の能登半島地震に関する気象庁会見
「今後の地震活動や降雨の状況に十分注意をして、やむを得ない事情がない限り、危険な場所に立ち入らないなどの、身の安全を図るよう心がけてください」
鎌谷紀子 仙台管区気象台長
「私には高齢の母がいるんですけれども、そういう高齢の母のような人が被災地にいたら、自分としてはどういうことを注意してほしいかなというのを考えつつ、話をしていました。なので、そういう方が聞き取りやすいような、はっきりとした丁寧な説明をするように心がけていました」
そして、記者会見に関しては、こんな話も…。
鎌谷紀子 仙台管区気象台長(Q、コロナ禍に着けていた透明なマスクについて)
「気象庁本庁の広報室から、あなたこれを使ってくださいと支給されまして、それは、どこかのマスクの会社から買ってきたものだと思うんですけれども、かなり高いものなので、それはあなた専用だから持っていなさいと言って託された。口元が見えた方が伝わりやすいというのはありますので、特に、耳が聞こえない方とか、そういう方のためにも、口元は見えた方がいいということで、ああいうマスクになりました」
モットーは「自分ができることをできる限りやる」だという鎌谷さん。気象台長として、実現させたいことを聞いてみました。
鎌谷紀子 仙台管区気象台長
「気象台の重要な仕事の一つとして、気象防災情報を発表するというのがあるんですけれども、情報を発表するだけで満足しているのではなくて、それが多くの人に伝わって理解して、活用して、自らの命を守っていただくというところまでいって初めて意味があることになると思うんですね。なので、そういうところまできちんとやれるということに、私は注力をしていきたいなと思っています」