続いては、以前お伝えした熊本から飛び立った特攻隊『義烈空挺隊』ゆかりの普賢菩薩像についてです。長い間放置されていましたが、5月24日の出撃80年を前に11日、旧健軍飛行場近くに移設されました。
【移設前の法要 4月6日】
【堤ハツさんの孫 堤 裕倫さん】
「みなさんのおかげで移設することができ、義烈空挺隊の英霊に報いることができたかなと思う」
今から80年前の5月24日、熊本の健軍飛行場から沖縄に向けて飛び立った特攻隊
『義烈空挺隊』。
アメリカ軍占領下の沖縄の飛行場に強行着陸し、敵の航空機や施設を破壊するのが任務でした。
168人の隊員のうち突入した8機に乗っていた113人が戦死。
強行着陸に成功したのは1機のみだったといいます。
隊員が訓練の疲れを癒やすために通ったのが熊本市中央区黒髪で堤 ハツさんが営んでいた銭湯『観音湯』でした。
若い兵士たちを我が子のように慈しんでいたハツさんは、隊員が残した金一封を元手に戦後すぐ、普賢菩薩像を建てお参りを欠かさなかったそうです。
【ハツさんの三男 永田堅治さん(83)】
「中学生のころから母に言われてお参りしたあとにタワシでよく菩薩像を洗っていました」
観音湯の廃業後、放置されていた菩薩像。ハツさんの孫・裕倫さんと菊池飛行場ミュージアムの永田昭館長は平和への思いを後世に伝える存在として大切にしようと移設・保存を計画。募金を呼びかけ目標金額に達しました。
そして、11日…。
【中原リポート 5月11日】
「観音湯の普賢菩薩像の移設作業が始まりました」
菩薩像とともにハツさんの句碑も取り外され慎重にトラックへ…。
そして、熊本市東区の浄圓寺に移されました。
義烈空挺隊の出撃前、軍装検査が行われた場所の近くにあります。
【堤 裕倫さん】
「80年前の5月にここから出撃したのかと思うと何とも言えない気持ち。
(戦時中のことについて)見たり聞いたりするだけではなかなか伝わらないと思う。
実際こういう場に来て拝んでいただければ少しでも役に立てると思う」
観音湯のハツさんの思いを乗せた普賢菩薩像。平和の尊さを伝え続けます。