1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ。
兵動さんが受け取ったのは、1951年(昭和26年)に京都市内で撮影された写真。男性が大きな“だるま”を手に持って、穏やかな表情で見つめているようです。
京都市中京区のJR円町駅前で、街の人に写真を見てもらうと、みなさん「だるま寺」だと言います。
■「だるま寺」で写真の謎に迫る
通称「だるま寺」として知られる「法輪寺(ほうりんじ)」は、臨済宗妙心寺派の禅寺。境内には、いたる所にだるまの姿を目にすることができます。
12代住職の佐野泰典さんによると、「だるま寺」と呼ばれるようになったのは、先先代の住職・後藤伊山が、敗戦で打ちひしがれた国民の気持ちを「七転び八起き」の精神で乗り切ろうと「達磨堂(だるまどう)」を建てたのがきっかけでした。
■写真の人物は木戸孝允(桂小五郎)の子 有名な“だるまコレクター”
佐野さんに写真を見てもらうと、写っている人物は「木戸忠太郎さんだ」といいます。木戸孝允(別称:桂小五郎)の養子で、だるまのコレクターとして有名な人物だそうです。
「だるま三福人」と呼ばれる3人の一人で、だるま説法の第一人者は後藤伊山、だるま画の第一人者は樋口文勝、そしてだるま収集・研究の第一人者が木戸忠太郎と、だるま界ではすごい人物なのです。
■木戸忠太郎が建てた「達磨堂」
写真の建物は木戸忠太郎が建てた「達磨堂」で、京都市が現在管理しています。
案内してくれた京都市行財政局の荒木敬太さんによると、かつて「木戸孝允邸」は広く辺り一帯が敷地だったのですが、今は「木戸孝允旧邸」や「達磨堂」など一部が残るだけとなっています。
「達磨堂」の中を見せてもらうと、収集された非常に多くの種類のだるまやだるま関連グッズが収められていました。
【兵動大樹さん】「木戸忠太郎さんがだるまに魅入られて集めたコレクション。京都市がちゃんと保管していて、一般の方も申し込んだら見せてもらえるということです」
▼兵動さんの今と昔を探る旅の全ては、動画でじっくりお楽しみください。
https://youtu.be/4qpbq8KCR6s
(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2025年5月2日金曜日放送)