福井県内の魅力を再発見する「小旅」のコーナーは今回、中国の文豪・魯迅から恩師と慕われた、あわら市出身の医師・藤野厳九郎について、2人の出会いが息づく記念館に訪れます。

藤野が晩年を過ごした自宅

えちぜん鉄道あわら湯のまち駅前の広場に建つ「藤野厳九郎記念館」。1983年(昭和58年)に旧あわら町と中国の浙江省紹興市との間で締結された友好都市を記念して、藤野が晩年過ごした三国町宿の自宅を、遺族が市に寄贈しました。
 
海からの寒風対策として窓の外側に設けられた下見板張りは、日本海沿いの港町の町家形式を伝える近代和風住宅として、国の有形文化財に登録されています。

医師として患者に尽くした人生

自宅兼診療所には、藤野が実際に使っていた医療器具などが並び、当時の面影がそのまま残っています。
 
貧しい人からは診察料をとらなかった藤野。71歳で亡くなる直前まで医師として患者に尽くした人生でした。

魯迅との師弟愛がうかがえる資料

記念館内の資料室には、解剖学の教授だった藤野と、当時医師を目指して留学していた中国の文豪、魯迅の足跡や、2人の国境を越えた師弟関係をうかがえる資料が展示されています。
 
2人の交流はわずか2年ほどでしたが、魯迅が1926年に書き上げた小説「藤野先生」には「私が自分の師と仰ぐ人の中で、彼はもっとも私を感激させ私を励ましてくれた一人である」と藤野を評していて、魯迅の深い敬愛の念が伝わってきます。

写真の裏に「惜別」の文字

医学を捨てて文学へ転身することを決意し、国に帰る魯迅に藤野が贈った写真のレプリカの裏には「惜別」の二文字が。魯迅は中国に帰ってからも「東の壁」つまり日本の方角に写真を飾り、生涯大切にしたと伝えられています。
 
日清戦争後、日本と中国の関係が悪化していく中で生まれた師弟愛と、藤野の医療への思いを静かに伝える記念館です。

福井テレビ
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