台湾で最大震度6強を観測した地震から、4月3日で1年。日本人にも人気だった観光地「太魯閣」は復旧の見通しが立っていない。苦難の生活を送っている先住民「太魯閣族」を取材した。
先住民・太魯閣族の現在
1年前の4月3日、台湾東部の花蓮県を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生。

激しい揺れが花蓮県を襲い、20人が亡くなった。

中でも大きな被害を受けたのが、世界的な観光名所の太魯閣公園。

絶景が魅力の太魯閣公園は、地震前の2023年に約400万人が訪れるなど、台湾を代表する観光地として、知られていた。

地震から1年経った今、取材班が訪れると太魯閣公園の景勝地は、ほとんどが閉ざされたままとなっていた。

記者リポート:
ここは大理石が連なる人気の絶景ポイントだったんですが。ご覧のように道が崩れて、先に進むことはできません。

押しつぶされた遊歩道に崩落した橋。
地震で一旦緩んだ地盤は余震や台風のたびに再び崩れ落ちるため、復旧のめどは全く立っていない。
そんな太魯閣の現状を、誰よりも憂いている人たちがいる。

山の上にあるホテル「山月村」に勤務していたという、宋育騰さん(27)は、この地域で暮らす先住民族太魯閣族の一人だ。
太魯閣族は、人口わずか2万人ほどで、今は太魯閣公園などの観光を主な収入源としている。ホテルの周りは雑草が生い茂り、建物は崩れたままになっている。

宋育騰さん(27):
この舞台で毎晩ショーが行われていました。

しかし、2024年の地震で巨大な岩がホテルに直撃。
宋さんたち従業員や宿泊客は、離れた場所にいて助かったが営業再開の目処が立たず「山月村」は一旦解散になった。

宋育騰さん(27):
ここは単なる職場というだけでなく、人と人との温かいつながりがあります。
みんなが山月村の再会を望んでいて、私自身も強く願っています。
一方で復旧に向けた歩みも進んでいる。
20251月、太魯閣公園の山の麓に「レストラン山下村」をオープンさせ、かつての仲間もここで働いている。

太魯閣「山下村」村長 宋育騰さん(27):
人の心は時間が経つと変わりやすく、最初は「みんなで戻ろう」と誓い合っていても、その思いが薄れてしまうこともあります。
だからこそ山下村はかつての仲間たちに、「私たちは、まだ頑張っているよ」と伝える場所でもあります。「みんな諦めないで」と。
みんなが再び集結した時、必ずもう一度山の上に登ります。
地元で太魯閣族を支援する「花蓮日本人会」も
また、地元で支援に動く日本人もいる。
太魯閣族の人たちから歓迎を受けているのは、日本料理店を経営する溝渕剛さん。

花蓮日本人会 溝渕剛さん:
日本の友人はみな、太魯閣への影響をとても気にかけています。

溝渕さんたち花蓮日本人会のメンバーは、日本から寄せられた義援金、約20万円を太魯閣族の子供たちなどに寄付した。
花蓮県 秀林郷 王さん:
台湾東部で最もへんぴで恵まれない私たちの村に、何度も何度も、日本の友人たちとのつながりを作ってくれました。

この地震がきっかけで、現地に住む日本人と地元の人との関係はより深まったと話す溝渕さん。そして、取材した日は、太魯閣族と日本人の交流会が開催された。
花蓮日本人会 溝渕剛さん:
あれから1年たつけど太魯閣はどう?
太魯閣の人:
地震の影響でたくさんの人が仕事を失ってしまった。

日本人会のメンバーも地震に巻き込まれた被災者たちだが、太魯閣族を支えることが花蓮全体を救うことにつながるという。
花蓮日本人会 溝渕剛さん:
花蓮といえば太魯閣渓谷。これに勝るものはない。
それに付随して生活している人たちに、いくらか支援できるのであれば、花蓮日本人会としての喜びです。
誰もが、太魯閣公園が観光客であふれかえる日を待ちわびている。
(「イット!」 4月3日放送)