「最初ブルキナでもらったときは金属のバットだったので、これなんの棒だろうなって思った。新しい刀の形かなって」。そう語るのは、高知ファイティングドッグスのサンフォ・ラシィナ選手だ。故郷はアフリカ西部の貧困国ブルキナファソ。1万3000キロ離れた高知で野球に打ち込む彼の11年目のシーズンが始まろうとしている。
バットを刀のように振っていた!? ブルキナファソの少年と野球の運命的な出会い
ラシィナ選手が野球と出会ったのは11歳の時だった。人口2300万人のブルキナファソで、日本から来た青年海外協力隊の人からバットやグローブをもらったのがきっかけだ。

それまで野球という競技の存在すら知らなかった彼は、最初バットの持ち方も分からず、刀のように両手で持って振っていたと振り返る。

学校が終わると、友人と公園で野球をして遊んだというラシィナ選手。グラウンドは荒れ地のようで、ホームベースは自分たちで木を削って作ったという。

「僕が(ブルキナファソで)住んでいたおじいちゃんの家は大人数で住んでいたので結構狭かったですね」と、当時の生活を語る。
大好きな野球を続けたい、外国で働いて家族を助けたい。そんな思いから、NPBのプロ野球選手を目指して日本にやってきたのは15歳の時だった。

2015年、練習生として高知ファイティングドッグスに入団。16歳の時には「全てを改善したい。全てのメニューを消化してレベルに達するように頑張りたい」と、フランス語と日本語で決意を語っている。
成長と活躍を重ねチームの顔に!監督も「右腕みたいなもん」と太鼓判
現在27歳のラシィナ選手は、高知ファイティングドッグスで11年目のシーズンを迎える。

四国アイランドリーグplusで最多打点やベストナインのタイトルを獲得するまでに成長し、2022年にはキャプテンとしてリーグ総合優勝も経験した。

「長年できなかった総合優勝、きょうしました。皆さんのおかげです。ありがとうございます」。眩しい笑顔で喜びを語った。

高知ファイティングドッグスの定岡智秋監督は、ラシィナ選手をこう評価する。「(自分の)右腕みたいなもんですよ。彼11年目、僕12年目。選手終わったら永久欠番にせないかんね」。チームの中心的存在として、周りの選手に進んでアドバイスができる存在になっているという。
2025年2月24日に春野球場で行われた埼玉西武ライオンズ2軍3軍との交流戦では、チームが15安打を放ち7対3で勝利。ラシィナ選手は6回から出場し、全力疾走を見せた。
日本の生活に馴染みながらも…故郷の家族を想い「たまに仕送り」
日本の生活や言葉にもずいぶん慣れたラシィナ選手。「栄養とかそこまで気にしないですけど、せめて体調を壊さないようにだけは」と、選手としての自覚も見せる。

ブルキナファソの家族とは何年も離ればなれだが、わずかな給料から仕送りを続けている。「僕の給料じゃそんな大したことできないので、たまに弟とかにお小遣いを送っているくらいしかない」と語るラシィナ選手。「向こうで心配かけてくれる人がいるだけでうれしいですね」と、家族への思いを語る。
11年目の目標はズバリ「優勝」!母国の野球普及にも意欲
開幕戦が迫るなか、ラシィナ選手の意気込みは明確だ。「優勝ですね。ファンの方々に喜んでもらえるのはチームでの優勝」。そして、長年の日本生活を経て、新たな目標も生まれた。「できたら誰か僕の背中を追って、一緒に野球やりたいなと思っている。なんとかブルキナの野球を発展させたい」。

高知の地で野球に打ち込み、故郷の家族を思いながら生活するラシィナ選手。11年目の挑戦が始まろうとしている。開幕戦は2025年3月30日。佐川町にあるチームの寮から球場へ、彼の熱い思いを乗せたバットが再び響く日が近づいている。