曾祖父は広島と長崎で相次いで原爆に遭った「二重被爆者」。この春、長崎市内の高校を卒業した被爆四世は「自分にできることは」と平和の道を模索している。18歳の旅立ちの春を追った。
故郷を離れても手元に置いておきたい一冊
長崎南山高校を卒業し2025年4月から東京の大学に通うため荷造りを行うのは原田晋之介さんだ。

人気のアクションゲームやバトル系少年マンガが好きというごく普通の18歳だが、本棚には特別な1冊がある。
原田晋之介さん:曾祖父が書いた本はずっと読んでいる。講話もずっとこれを使っていたので。

曾祖父が晋之介さんのためのメッセージも書かれている。
原田晋之介さん:(名前の)漢字間違えているが。曾祖父が二重被爆者であることそういう運命だったのかなとは思う。やっぱり(東京に)持っていきたい。手元に置いておきたい
曾祖父は二重被爆者・山口彊さん
原田さんの曾祖父・山口 彊さん(享年93)だ。

三菱長崎造船所に勤務していた彊さんは出張先の広島と自宅があった長崎で相次いで原爆に遭った「二重被爆者」だ。語り部の活動を始めたのは90歳になってから。ちょうど原田さんが生まれたころだった。高齢ながらも国の内外で核兵器廃絶を精力的に訴え、93歳でこの世を去った。

生前、山口彊さんは長崎市内の高校で講話を行い、メッセージを送った。
山口 彊さん「無念の死を遂げた人たちに深く思いをめぐらせて。一人一人が真摯に過去の歴史に習い、平和への大切さや命の尊さについて考えてみてください。私の命をバトンタッチしたい」 映画「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」より

祖母と母は彊さんの思いを引き継ごうと平和活動を始め、原田さんも小学5年生のときに加わった。

原田晋之介さん:曾祖父が大好きだからこそ曾祖父の思いを(伝えたい)と思えるようになったとふり返って思う。被爆者の方から頼りにされることが継続力になっていると思う。
記憶はなくても曾祖父が遺したもの
旅立ちを前にこの日原田さんは、活動の原点ともいえる場所を訪れた。

彊さんが晩年を過ごした祖母の家。幼い原田さんは約1年間彊さんと一緒に暮らしていた。
原田 晋之介さん:ここに入ったら曾祖父がベッドに寝ていて、話をして、紙飛行機を作ってもらったりとかいろいろ教えてもらったりとか。話した内容は覚えてないけど、印象に残っているのは新聞紙で紙飛行機を作ってもらったこと。もっと曾祖父の話を聞きたかったなというのは母や祖母から曾祖父の話を聞くたびに思う

山崎年子さん(さきは「立つ崎」):(3世代で活動するのは)刷り込みというのか。(曾祖父の話は)分からない、まだ小さいから。でも愛情をかけた分というのは人間心の中に染み込んでいると思う
疑問、葛藤、迷いの中で活動を続けた理由
原田さんは年に数回、県の内外で講話や平和交流を重ねてきたが、迷い、立ち止まった時期もあった。

それは中学1年の時、彊さんが亡くなったのはわずか3歳の時で、曾祖父との記憶がほとんどない自分がその体験を語る資格があるのか。生じた疑問は葛藤へと変わり活動と向き合うのが難しくなった。しかし1人の被爆者との出会いが原田さんを活動に引き戻した。

3歳で被爆した堀田武弘さんだ。原田さんは堀田さんからの言葉がその後の平和活動につながっているという。

原田 晋之介さん:(堀田さんから)『君も曾祖父が二重被爆者で平和活動をしていて、君も被爆四世なのだからこの活動は続けていかないといけないよ』と言われたときに、似たような経験をした人から言われた言葉はすごく自分の中で励みになって自信にもなったし、もう一度やってみようという気になった

生前、彊さんは被爆の惨状を短歌に詠み歌集にまとめている。
大広島 燃え轟きし朝明けて川流れ来る 人間筏 「歌集 人間筏 山口彊」より

原田 晋之介さん:僕の中でも一番印象に残っている言葉が「人間筏」。そういうものが8月9日や6日に川を見ると思い浮かぶ。二重被爆者の曾祖父を持つからにはそれは伝えていかないといけないものだと感じていて、それが曾祖父から祖母、母、僕と続いていることはものすごくうれしいこと。被爆者が残してくれたものを僕たちは残していくことをしていかないといけないという使命感があると思う
「自分に何ができるのか」「若い世代だからこそできること」を模索
この日は高校時代、最後の講話。学業や部活と並行して続けてきた平和活動の集大成だ。
原田 晋之介さん:なぜ平和活動を続けることができる?なぜ平和活動を続けるのか。曾祖父から受け取った意志と願いがあるからです。曾祖父のような被爆者という存在をなくしていくためにも自分は平和活動、継承活動をしていかないといけないと思っている。平和だけではなく自分の中で大切にしていること、そういうものを発信していってほしいと思う。

曾祖父・彊さんの体験を親子3代で伝え広げてきた原田さん。大学では別の地域の戦争被害や多くの人が命を失う災害などを学び、被爆地とは違う視点でも「平和」を捉えたいと考えている。自分に何ができるか、問い続ける道はこれからも続く。
原田 晋之介さん:長崎に足りないものや長崎だからできることをもっと知れたらと思う。継続していかないと平和活動というものは意味がないと思っているのでこれからもやっていきたいと思う。
原田さんは東京では英語教育に定評のある大学に行くことになっていて2年時以降は「平和」について学びたいと考えている。二重被爆者のひ孫として「若い世代だからできること」を追求しながら思いを発信することの大切さを伝えていきたいと思っている。
(テレビ長崎)