約10万人が犠牲となった東京大空襲から80年となる10日、秋篠宮ご夫妻参列のもと、法要が営まれた。

秋篠宮ご夫妻参列のもと法要営まれる

1945年3月10日未明。

1945年3月10日未明 東京大空襲 B29爆撃機による無差別攻撃と大規模火災で約10万人が命を落とした
1945年3月10日未明 東京大空襲 B29爆撃機による無差別攻撃と大規模火災で約10万人が命を落とした
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アメリカ軍のB29爆撃機による無差別攻撃と、それにともなう大規模火災で、約10万人が命を落とした東京大空襲。

10日、犠牲者の遺骨が納められた墨田区の東京都慰霊堂で「春季慰霊大法要」が営まれ、秋篠宮ご夫妻も、犠牲者を悼まれた。

「お母さん、助けて」子どもの声が一晩中

法要に参列した遺族の1人で、代表の内田和江(うちだ・かずえ)さん(87)は、「もうお経聞いてるうちに、どんどん3月10日の情景が膨らんでくるんですよ」

「胸がもう苦しくなって、どうしようもなくて、お経、泣いた。ずっと手を合わせてました」と話す。
内田さんは、80年前の10日のことをはっきりと覚えていた。

法要に参列した遺族のひとり 内田和江さん(87):
もう死体の山を逃げて、火の粉をくぐり抜けて、夜、逃げ込んだところでは、子どもたちが「お母さん、お母さん、助けて」っていう声が一晩中聞こえてるんです。声が小さくなっていくということは、明くる日はもうそこに、子どもたちの死体が山ほどあるんです。

どこを歩いても死体だらけ

空襲で、おじを亡くしたという内田さんは「(Q. ご親戚のおじさまはどこで亡くなられた?)それはわかりません」

「もう亡くなった方って、死体だらけなので、どこを歩いても全部死体だらけなんですよ。空襲でみんな(服に)名前つけてたんですね。だけど火の粉でみんな焼けちゃうじゃない。裸で死んでるんですよ、皆さん。何も身につけてないんです。だから、どこの誰か本当にわからないんです」と話す。

80年前の体験を忘れてはいけない…それが内田さんの思い。

内田和江さん(87)は「やけどの痕は薄くなるが、空襲の記憶は逆に忘れてはいけない」と語る
内田和江さん(87)は「やけどの痕は薄くなるが、空襲の記憶は逆に忘れてはいけない」と語る

「(Q. そのつらい記憶というのは薄れることはない?)ありません。私、やけどの痕がどんどん薄くなるんですけど、逆に忘れちゃいけないんじゃないかなと思っています」
(「イット!」3月10日放送より)

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