1941年から1945年まで続いた太平洋戦争では、名古屋も空襲に襲われました。2024年、名古屋市は毎年5月14日を「なごや平和の日」と定め、戦争の体験や記憶が風化しないように後世に繋いでいこうとしていますが、若い人へどう伝えていけばよいのかが課題となっています。
名古屋市出身でダンスボーカルユニット「ICEx(アイス)」のメンバー・中村旺太郎(なかむら・おうたろう 20)さんは、子供の頃に遊んでいた千種公園に残された“戦争の痕跡”を確認し、戦争の残酷さを実感しました。
(動画で見る:壁に大きな穴…ICEx中村旺太郎さんが幼少期に遊んでいた公園に“名古屋空襲の痕跡”「戦争の残酷さ想像して」)
太平洋戦争末期の1945年、名古屋空襲が本格化し、容赦なく爆弾が降り注ぎました。多くの軍需産業施設があった名古屋は、日本のどの都市よりも早く、焼け野原となりました。

名古屋空襲を体験した森下規矩夫さん(87):
爆撃が始まった時には、何が起きているか分からなかった。本当にすごい音でした。落雷したような、カッという耳に刺さるような冷たい音。それがね、連続して聞こえてくる。1つの戦隊が過ぎると、また次の戦隊が。終わった後に見たら、家は燃えてしまって焼け野原。火柱がボーっと上がって。花火とよく似ています。

千種区にある千種公園には当時、兵器を生産する「名古屋陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)千種製造所」がありましたが、空襲で大きな被害を受けました。
戦後、千種公園に千種製造所の“外壁の一部”が移築されました。コンクリートの壁には、爆撃による大きな穴が空いていて、戦争の痕跡を確認することができます。

名古屋市出身でICExのメンバー、中村旺太郎(なかむら・おうたろう 20)さんは、子供の頃に千種公園をよく訪れていました。滑り台で遊んだり、サッカーをしたりして楽しんでいましたが、残されていた戦争の痕跡についてはよく知りませんでした。

中村旺太郎さん:
もし仮に、今自分が大切にしている人が急にいなくなって、声も聞けない、顔も見えないという状況になった時に、どんな気持ちになるのかを想像してほしい。そうすれば、戦争がいかに、どれだけ残酷なことかどうか実感できると思う。

2025年2月12日放送
(東海テレビ)