北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記が地方幹部の不正行為に激怒し40人余りの党幹部を解任したうえ、地方党・行政機関を「集団的解体」する強硬措置を下した。
金総書記はこれまでも現地指導の際などに幹部らの職務怠慢を厳しく叱責し、怒りを爆発させてきたが、部署そのものを解体するほど厳しい処置を取ったのは異例だ。いったい何が起きたのか。
幹部40余人を異例の処分
旧正月の直前にあたる1月27日、金総書記が主催する党書記局拡大会議が緊急招集された。
議題となったのは南浦(ナンポ)市・温泉郡と慈江(チャガン)道・雩時(ウシ)郡で発覚した地方幹部による重大な「党内規律違反」と「人民の権益侵害」だった。

このうち温泉郡では、郡の党総会終了後に党活動家を含む40余人が集団で飲酒接待を受けたことが「不正行為」として問題視された。報告では、幹部の集団飲酒行為は党の歴史上かつてない「妄動」であり、関係者は指導幹部の資格がない「腐りきった群れ、放恣な烏合の衆」と厳しく断罪された。40人以上が関与したとなると、この地域の党・行政機関幹部のほぼ全員が関与したと推定され、地方党は壊滅に近い打撃を受ける。
また雩時郡では、農業監察機関の監察員が「法で認められた権限を悪用して地域住民の財産を侵害する容認できない犯罪」が発生した。詳細は明らかにされていないが、幹部らが監察権限を乱用し農民の生産物を横領したり、利益をピンハネするなどしたと考えられる。

黒のスーツにネクタイ姿で会議に臨んだ金総書記も厳しい表情で、幹部らの不正腐敗を糾弾した。
「温泉郡の重大事件の性格を大きな党規律違反および道徳文化紊乱(びんらん)罪、わが党の規律建設路線に対する公然たる否定と見なす」
「(雩時郡幹部の不正行為は)絶対に許し難い特大型の犯罪事件だ」
さらに金総書記は新たな党建設の課題として「幹部革命化」を掲げ、「党内の腐敗とあらゆる規律違反行為を制圧するため」に闘争せよと力説した。会議では党規約20条にもとづき南浦市温泉郡党委員会と雩時郡農業監察機関を解散することを決定、関係幹部らに対しても厳正な処分案が宣布された。
“見せしめ処罰”で「党の正当性」強調
党内で提起される実務的な課題を討議・決定する書記局の会議は、非公開が原則とされてきた。2021年の第8回党大会以降、約30回開催された書記局会議のうち、内容が公開されたのは今回を含め3回だけ。それほど今回の不正発覚は金正恩政権にとって「重要な問題」だったと言えよう。
北朝鮮における幹部の不正腐敗行為は今に始まった問題ではない。にもかかわらず、今回「重大事件」が発生した2地域が見せしめ的に厳罰に処されたのはなぜだろうか。
実は温泉郡と雩時郡はいずれも「地方発展20×10政策」のモデル地区に選定され、中央の集中的な支援を受けていたためだ。

「地方発展20×10政策」とは、毎年20カ所の市、郡に現代的な地方産業工場を建設し、10年の間に全国すべての市、郡住民の初歩的な物質・文化生活を一段階レベルアップさせるもので、金総書記がいま最も力を入れる重点事業だ。1月20日には温泉郡で、同25日には雩時郡でそれぞれ地方工場の竣工式が開催され、北朝鮮メディアが大々的に報じていた。
しかし、そのモデル地区である南浦市と慈江道で、工場の完成と同時に「特大犯罪事件」が発生するという異常な状況が生じた。中央の重点プロジェクトが進められている地域での幹部による不正が発覚したとあっては、金総書記のメンツにかかわる。そう考えると処罰が急がれ、厳罰が科せられたのも当然だろう。
こうした「見せしめ型の厳罰」は北朝鮮の伝統的な統治方式の一つとされる。一定期間をおいて、党・政府機関や軍部からターゲットを選び、公開的に処罰することで組織の規律を引き締めるのだ。今回は、南浦市温泉郡の党・行政幹部、そして慈江道雩時郡の農業監察機関がその対象となった。
権力層の腐敗や逸脱行為を厳しく取り締まることで、住民の不満が最高指導者や党に向かわないようコントロールし、「党の正当性」を強調する狙いがある。
住民の「陳情」増加と綱紀粛正キャンペーン
北朝鮮は2021年の第8回党大会以降、党内の規律違反や住民からの請願(陳情)処理、財政監査など党内に新たな規律監督システムを導入した。権力層への統制を強める一方、住民の意見を尊重する姿勢を示すことで、人民大衆第一主義の統治をアピールしている。この結果、住民の申請が奨励され増加する傾向にあるという。
2020年に重大事件として扱われた金日成(キム・イルソン)高級党学校(現:党中央幹部学校)での不正腐敗行為や、平壌医学大学の入試不正犯罪も個人の陳情が発端とされる。今回の温泉郡の集団的な飲酒接待や牛郡の農業監察機関の犯罪事件も、住民の訴えがきっかけとなった可能性があると見られている。
こうした事態を受け、北朝鮮メディアは、党の規律順守など綱紀粛清の呼びかけを強化している。
党機関紙・労働新聞は2月5日付の社説で、先の書記局拡大会議で問題になった「特大事件」に対し、党中央が厳重な措置を講じたのは「法的権限が人民の利益と財産を侵害するのに盗用された」ためと総括。幹部らに対し党規律の順守を徹底するよう強調した。また、1月31日付の紙面では、かつて東欧などで社会主義政権が崩壊した原因について、「幹部たちが官僚化され道徳的に腐敗し、革命的党の本質が曇って人民の支持と信頼を失ったため」と分析し、幹部らのモラルハザードに警鐘を鳴らした。

徹底した綱紀粛正により内部結束の強化をめざす金正恩政権だが、効果は限定的とみられている。
住民らにとって幹部の不正腐敗行為は珍しくなく、個別の地域に限らず全国的な現象と認識されている。また、「幹部叱責」を通じて「人民大衆第一主義」を示す金総書記の統治スタイルにも既に目新しさはない。
一方、地方や下部組織の幹部らは党中央の指示と住民の反発との間で板挟みとなり、疲弊が進んでいる。「地方発展20×10」の成功には電力や資材の安定的な供給が不可欠だが、中央の支援は当てにできない。幹部らは私腹をこやすだけでなく、不足分の穴埋めのために不正行為を強いられる側面もある。こうした状況では綱紀粛正をどんなに呼びかけても、党や政府による統制は緩まざるを得ないと言えよう。
北朝鮮にとって2025年は党創立80周年、国防・経済5カ年計画の仕上げの「勝負年」となる。一層の成果積み上げや内部結束の強化が迫られる中で、うっ積した住民や幹部層の不満は、どこに向かうのか、目が離せない。
(フジテレビ客員解説委員、甲南女子大学准教授 鴨下ひろみ)