北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの母・早紀江さんが、2月4日に89歳の誕生日を迎えた。これに先立って、支援者から誕生日を祝ってもらった早紀江さん。その際の柔らかな表情とは裏腹に、娘との再会を願う思いは切迫感を伴うものとなっている。
89歳の誕生日 思うのはただ一つ
1月中旬、横田早紀江さんの暮らす川崎市で『早紀江さんを励ます会』が開かれた。

1977年、新潟市で拉致された娘・横田めぐみさん(当時13)の同級生が主催したものだ。この中で、2月4日に89歳の誕生日を迎える早紀江さんを祝う場面があった。
大きな拍手を受けた早紀江さんは、「こんな年まで祝ってもらえるなんて思っていなかった。本当に90近くまで…」と、控えめな笑顔を見せた。
集会などでは力の限り声をあげ、会見では切実な思いを訴える様子が伝えられることの多い早紀江さんだが、身近な人たちとの時間ではとても柔らかな雰囲気をまとっている。

一方で、『励ます会』が終盤にさしかかったころ、89歳の誕生日を迎えたことについて早紀江さんに尋ねると、その表情は少しだけこわばった。
「やはり、一度めぐみちゃんを抱きしめてあげないといけないという思いがあるので、それが力になっていると思う。あまり年齢のことは考えていない。こういうふうに髪の毛が真っ白になっていくしかない。どうしたらめぐみちゃんを連れて帰ってあげられるだろう。それしか思っていない」
母の積年の思いは募るばかりだ。
親友が語った“めぐみさんが姿を消した日”
めぐみさんが北朝鮮に拉致された1977年以降、早紀江さんを支え続けた1人が、めぐみさんの親友・真保恵美子さんの母・節子さん(92)だ。

早紀江さんと節子さんの関係は特別なものだと恵美子さんは言う。
「早紀江さんは、つらいこと、人に言えないようなことも母にはお話になられる。2人で寄り添って、何とかめぐみちゃんが帰ってくるまで頑張ろうと言い合って、頑張っている。お互い欠けたらボロボロになるのではないかと思っているので、母にも元気でいてもらわないといけない」
『励ます会』が催された約3時間の間、ほぼ早紀江さんのそばを離れずにいた節子さん。
挨拶の場面では、めぐみさんが拉致された1977年11月15日を振り返り、こう語った。
「『娘が帰らない。お宅にお邪魔していませんか?』と我が家に電話があった。早紀江さんはちゃんとした人だから、めぐみちゃんがお帰りになれば、必ず連絡をくださるはず。だから私は待っていた。そして、そのまま次の日の朝を迎えた」
めぐみさんが突如いなくなった衝撃から今年で48年。北朝鮮の拉致によるものだと判明してから28年…。
早紀江さんを支える人たちも、あの日から続く苦しみを分け合いながら、年齢を重ね続けてきた。
「早紀江さんのそばにはめぐみさんが必要」
今年1月、めぐみさんの同級生たちと首相官邸を訪ね、林官房長官と面会した真保恵美子さん。

面会では、母・節子さんの様子を交え訴えたという。
「私も早紀江さんと同年代の母を持っているが、介護が必要な状態になってきた。早紀江さんに介護が必要になったとき、女の子がそばにいてくれたなら。どうか早紀江さんがそんなことにならない元気なうちに、めぐみさんを早紀江さんの元に返していただきたい。めぐみさんも早紀江さんのことを心配していると思う」
早紀江さんが抱く政治家への思い
拉致問題に進展がない中、前回の就任時に米朝首脳会談を実現させたトランプ氏がアメリカ大統領に返り咲いたことで、新たな動きが生まれることが期待されている。

しかし、『励ます会』が終わりに近づくころ、早紀江さんは静かにこう語った。
「もう今年は最後のチャンスではないかと思うくらい切羽詰まってきたなという感じがある。本当に政治家の方1人くらい『さすがにあの人やってくれたな』という人に残ってほしい。それを本当に切望している」
日本政府に訴えを続けて28年。この問題が日本の“最重要課題”であっても、何度首相官邸に赴いても、状況は変わらない。それでも早紀江さんは、日本がこの問題を動かすことを決して諦めていない。
北朝鮮で生きることを強いられた娘を、89歳となった自身の手で抱きしめるために。
(NST新潟総合テレビ)