拘束ではなく「出頭」

韓国の現職大統領で初となる、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領への拘束令状が執行された。高官犯罪捜査庁と警察で作る合同捜査本部は2024年12月3日の非常戒厳令宣布をめぐり、尹大統領が内乱の首謀者と見て、尹氏の拘束に踏み切った。

拘束された尹大統領(15日)
拘束された尹大統領(15日)
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合同捜査本部は1月3日にも尹氏の拘束を試みたが、大統領警護庁に阻まれ失敗していた。背水の陣となる今回は失敗が許されず、大統領警護庁や尹氏支持者と捜査当局の間で流血の事態が生じることも懸念されていた。

徹底抗戦か、拘束強行か……。緊張が高まる中、尹氏は高官犯罪捜査庁(高捜庁)への身柄拘束に応じたが、拘束は違法との立場は崩さなかった。

拘束に向かう合同捜査本部(15日)
拘束に向かう合同捜査本部(15日)

拘束前に録画した国民向けの声明からは、尹氏が支持者に向かって自身の正当性を訴え結束を呼びかけているのがわかる。

尹氏はまず支持者への感謝から口にした。戒厳令の宣布をめぐって韓国社会を直撃している混乱に対する謝罪は一度もなかった。

国民へのメッセージを配信する尹大統領(15日)
国民へのメッセージを配信する尹大統領(15日)

「尊敬する国民の皆さま、この間お元気でしたか。私を応援し、多大なるご支持をお寄せくださったことに、心から感謝申し上げます」

また、合同捜査本部による拘束令状の執行はあくまで違法であるとの立場を強調した。

「残念ながら、この国では法がすべて崩壊してしまいました。捜査権を持たない機関に令状が発付され、令状審査権のない裁判所が拘束令状や家宅捜索令状を発行し、さらには捜査機関が虚偽の公文書を発行して国民を欺くような、不法の不法の不法が横行しています」

尹氏側はこれまでも高捜庁には内乱に対する捜査権限がなく、ソウル中央地方裁判所ではなくソウル西部地方裁判所から拘束令状が発出されたことは違法であるとしてきた。大統領が自らこの立場を繰り返した形だ。

その上で大統領は、捜査はあくまで違法だが、流血の事態を避けるために、自ら出頭すると説明した。

「不幸な流血事態を避けるため、違法な捜査であることは承知の上で高捜庁への出頭を決めました。しかし、これは高捜庁の捜査を認めるものではありません」

これは尹氏があくまで拘束とは認めず、捜査に応じるため自ら出頭に応じたという立場を明らかにしたものだ。

高官捜査庁へ向かう尹大統領を乗せたとみられる車
高官捜査庁へ向かう尹大統領を乗せたとみられる車

高官捜査庁に向かう際も尹氏は大統領警護庁の車に乗り、高捜庁が手配した拘束用の護送車は使わなかったのも、拘束は認めていないという主張に沿った対応と言える。

過激な尹親衛隊「白骨団」

尹氏は声明の最後に自身への支持を表明する若者たちに触れた。

「若者たちが自由民主主義の大切さを改めて認識し、それへの熱意を示してくださる様子を拝見し、今は法が崩壊し暗黒の時代ではありますが、この国の未来には希望があると感じています」

なぜ、突然若者たちに呼びかけたのか。それは、尹氏の拘束を阻止しようと大統領公邸周辺に集結する支持者の中に20~30代の若者が増えているためだ。保守のコアな支持者は高齢層が多いとされてきたが、そこに変化が生じている。

こうした若者は自らを「右派」と称し、反対派を「左派」、共産主義者を示す「アカ」などと呼び、総選挙で「不正選挙」があったとの尹氏の主張を支持している。

尹大統領支持者の集会
尹大統領支持者の集会

だが、与党「国民の力」など特定政党や保守の理念を支持しているわけではない。共に民主党を「従北(親北朝鮮)勢力」と規定し、「中国や北朝鮮に国を奪われないために(集会に)きた」という人が多い。「右派」の若者たちが中心となった「反共青年団」や「白骨団」といった尹大統領を支持する青年組織の結成も相次いでいる。

尹氏の親衛隊として活動する白骨団
尹氏の親衛隊として活動する白骨団

中でも白いヘルメットをかぶり、国会で発足記者会見まで開催した「白骨団」は、物議を醸した。

韓国国会で会見する白骨団
韓国国会で会見する白骨団

「白骨団」の名称は、韓国の近現代史における暴力を象徴する集団を意味する。かつての李承晩(イ・スンマン)政権では政治的ヤクザ集団、軍事政権時代は民主化運動のデモ隊を鎮圧および逮捕した私服警察として人々を震え上がらせた。

民主化デモ隊を鎮圧する私服警察時代の白骨団
民主化デモ隊を鎮圧する私服警察時代の白骨団

尹氏を支持する親衛隊のような存在である彼らが暴走すれば、私的暴力を行使する暴力集団になる懸念もある。尹氏はユーチューブを通じてこうした若者の存在を知り、直接呼びかけることで結束を図ろうとしたと考えられる。

陰謀論と深まる分断

戒厳令直後から尹大統領の弾劾訴追決定まで、国会の周辺には連日多くの人々が終結し、尹大統領弾劾を訴えた。

会場にはK-POPが大音量で流され、参加者は自身の好きなアイドルを応援するペンライトを持ち、デモに参加していた。過去のデモとは違い20代から30代の若い女性の姿も多いのも特徴だった。

大統領弾劾賛成派デモではペンライトを振る女性の姿も
大統領弾劾賛成派デモではペンライトを振る女性の姿も

一時は弾劾賛成が圧倒的に優勢だった韓国社会だが、拘束までの1カ月の間に尹氏への支持が上昇の勢いを示している。

保守層が結集したことも一因と言えるが、尹氏の拘束をめぐって与党「国民の力」と野党「共に民主党」の両陣営が激しく対立し、政治が両極化する中で、陰謀論が広まっていることも大きい。

尹氏支持者は「中国と北朝鮮が不正選挙に介入した」「野党代表はスパイだ」など根拠のない主張を繰り返し、右派のユーチューブを通じて拡散させている。

公邸前に集まる大統領支持者
公邸前に集まる大統領支持者

一部の与党議員も「憲法裁判所、捜査機関と判事、警察と軍隊も親北朝鮮勢力に汚染されている」「弾劾賛成集会には中国人が大挙動員されている」などとして、真偽不明の写真を公開するなどした。

問題は政治の両極化が深刻化するにつれ、自身の所属陣営の主張に盲従し、根拠のない陰謀論が蔓延しやすい状況が生まれていることだ。

尹大統領自身、右派ユーチューバーの主張する「不正選挙」論にどっぷり浸かってしまい、他の客観的な事実から目を背ける状況を生み出してしまった。同質の意見の中に閉ざされ、他の意見を受け入れなくなる「エコーチェンバー」「フィルターバブル」現象が生じた結果、突然の非常戒厳を招いたと考えられる。

韓国国会に突入する戒厳軍
韓国国会に突入する戒厳軍

尹氏そのものが陰謀論にとらわれたままの状況は、今も続いている。

今回は流血の事態は避けられたが、今後も尹支持派と反対派の分断が暴力事態に発展しないよう十分な警戒が必要だ。

陰謀論とメディア不信は、韓国だけの話ではない。

日本にとっても切実な問題であることは言うまでもない。

(執筆:フジテレビ客員解説委員 甲南女子大学准教授 鴨下ひろみ)

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鴨下ひろみ
鴨下ひろみ

「小さな声に耳を傾ける」 大きな声にかき消されがちな「小さな声」の中から、等身大の現実を少しでも伝えられたらと考えています。見方を変えたら世界も変わる、そのきっかけになれたら嬉しいです。
フジテレビ客員解説委員。甲南女子大学准教授。香港、ソウル、北京で長年にわたり取材。北朝鮮取材は10回超。顔は似ていても考え方は全く違う東アジアから、日本を見つめ直す日々です。大学では中国・朝鮮半島情勢やメディア事情などの講義に加え、「韓流」についても研究中です。