レバノン・ベイルート南部で2日、FNNが日本のメディアとして停戦後初めてヒズボラ支配地域に入り、戦闘の被害状況を取材した。
イスラエルとの1年以上の戦闘で街は大きな被害を受けていたが、住民は復興への決意を語っていた。
建物が倒壊…姿を一変させた街の様子
イスラエルとの1年以上に及ぶ戦闘が、前週停戦したばかりのレバノンで、FNNのカメラは2日、首都ベイルートの南にあるヒズボラが支配するダヒエ地区に入った。
日本のテレビが停戦後、このエリアに入るのは初めてだ。

フジテレビ国際取材部・加藤崇記者:
正面には、最高指導者・ナスララ師の大きな旗が掲げられています。
この街にはイスラム教シーア派の住民が多く住み、ヒズボラが政府よりも強い権限を持っている。
いわばヒズボラの本拠地で、今回の戦闘では、街全体がイスラエル軍の標的となった。
フジテレビ国際取材部・加藤崇記者:
こちらの建物も、すべて倒壊しているような状況です。大きな柱が横倒しになっています。

イスラエル軍は、住宅地や民間の建物の地下にヒズボラの拠点があるとして、ダビエ地区に集中的に空爆を行った。
フジテレビ国際取材部・加藤崇記者:
かなり被害が大きい場所です。建物が倒壊しています。地下が見えるほどイスラエル軍の激しい空爆を受けている状況です。

1年以上に及んだ戦闘で、街はその姿を一変させていた。
ダヒエ地区で10年前からキャンドル屋を営んでいるジャミール・セブリーニさん(63)は、停戦直前の11月25日に空爆の被害を受けた。
ダヒエ地区でキャンドル屋を営むジャミール・セブリーニさん:
見ての通りです。お店はなくなってしまった。もう営業できません。
店の中は、爆風でめちゃくちゃになっていた。
経済的にも苦しい中、今後は別の場所に移って営業を続けることを決めた。
ダヒエ地区でキャンドル屋を営むジャミール・セブリーニさん:
私たちはレバノン人だから慣れている。生きているかぎりやり直す。
ヒズボラの本部があるエリアを取材
こうした中、取材班はある場所の取材を特別に許された。

フジテレビ国際取材部・加藤崇記者:
こちらは鉄柵に囲まれて、厳重な警備となっています。周りにはナスララ師の肖像画のような物が、壁に大きく貼られています。
ダヒエ地区の中心部にあるヒズボラの本部があるエリアで、入り口にはヒズボラの鉢巻きがある。
大人だけでなく、子どもたちも頭に巻いている姿が見られた。
さらに先に進むと、30年余りにわたってヒズボラを率いた最高指導者・ナスララ師が殺害された現場があった。
フジテレビ国際取材部・加藤崇記者:
まさに、ここの地下にヒズボラの本部があり、ナスララ師がいたということです。みなさん、追悼のために集まっています。中には涙ぐむ方もいます。

イスラエルは、この場所にわずか数分間で80発以上の爆弾を投下した。
地中深くまで貫通する能力がある地下貫通弾「バンカーバスター」も使われたとみられ、地下部分はむき出しになっていた。

フジテレビ国際取材部・加藤崇記者:
地下に入ってみます。ここに本部があったのでしょうか。頑丈な建物ですが、へし曲がっています。これは何かの骨組みでしょうか。焦げ臭いようなにおいも残っているような状況です。

ナスララ師は、地下約20メートルの部屋で幹部と協議していた時に殺害された。
ナスララ師の支持者:
彼を失った悲しみは、われわれが死ぬまで残るだろう。その喪失を埋め合わせるものは何もない。彼のような人は、決して現れないだろう。
ナスララ師の支持者:
彼はわれわれの指導者だ。われわれの父である。われわれの誇りである。
深刻なダメージを受けたヒズボラだが、今後も抵抗を続けると表明しており、停戦が維持されるのか、不安定な状況が続いている。
(「イット!」12月4日放送より)