これで小倉を離れられる……。
「八百長と言われるわ、車をボコボコにされるわで嫌になってたんです。心が折れかかっていましたから、そのときのトレードは良かったですよ」
西鉄再建のために了承してくれた広野に対し、「神様、仏様、稲尾様」とまで呼ばれた男は深々と頭を下げたのだった。
人生がぐるぐるまわる感覚
ただ、広野のトレード話に黙っていなかったのは、岳父の野見山博だ。翌日、「サイ!ちょっとこい!」と稲尾を自宅に呼びつけて激怒した。
「サイ、わかっとんのか!うちの息子をトレードに出すとはどういうことや!」
数々の修羅場を切り抜けてきた筑豊の山主の迫力に、同席した広野は立ちすくむほかない。球界のレジェンドであった稲尾も野見山の様子に気圧され、おっとりとしたサイの面影は消え去っていた。
ただ、球団を預かる稲尾の意思は固く、何度も頭を下げて野見山に弁解する。
「これも崩壊した地元球団、西鉄を助けるためです。川上さんからの条件なので、野見山さん、ここは勘弁してください」
稲尾はこう言って1時間以上食い下がり、ようやくドンの了解を取りつけたのだった。
「もう、野球を通して自分の人生がぐるぐる回っている感覚でしたわ。西鉄時代、いいことは少なかったです。女房と出会えたことが救いでしたね」
こうして、1971年シーズン前に広野を含む西鉄の野手2名と巨人の3選手のトレードが成立。広野はプロ野球入り6年目で、3球団を渡り歩くことになった。

沼澤典史
ノンフィクションライター。過去に篠塚和典、高橋慶彦、武田一浩、谷繁元信などのプロ野球OBへの取材記事多数。プロ・アマ問わず野球関係の記事を『NumberWEB』に寄稿